先日(7月19日)国分寺のライブハウス「Art and Jazz M's」で、東京外大教授でジャズ・トランペッターの伊勢﨑賢治さんと現代イスラム研究センター理事長の宮田律のトーク・ライブがありました。 ジャーナリストや市民活動家、学者、評論家の有志が出資し「…
1969年のことです。小学4年生だった音吉は、創刊されたばかりの『週刊少年チャンピオン』と、アポロ11号の月面着陸に首ったけの夏休みを過ごしていました。「夏休みの宿題は進んでるの?」 と、母親がやきもきしだした8月の中旬だったと思います。何気にテ…
音吉は20代の頃、紙媒体の仕事で生活していたんですが、ひょんなことから評論家先生や某有名誌の編集委員さんに誘われて、旧社会党の副委員長さんがリーダーを務めるマスコミ関係者の中国取材旅行に同行したことがあります。 その折に、ある音楽との鮮烈な出…
今回は、音吉が結婚してからのお話です。 2004年のことです。当時、まだ小学生だった3人の子どもたちと一緒にDVDで映画を観ました。是枝裕和監督作品の『誰も知らない』です。 この映画は1988年にあった巣鴨子供置き去り事件という実話をもとにしています。…
先だって、Facebookのお友達から、「聞き比べ楽しいですよね。指揮者別も面白いですよ」 というコメントを頂きました。まことにもってその通りだと思い、今回は規模の小さな合奏協奏曲で聴き比べをやってみたいと思います。 曲はJ.S.バッハのブランデンブル…
高校生の頃から輸入盤を買う楽しみを知って、放課後や休日に音吉は友達とつるんでレコード店巡りをするようになりました。 初めは、同じレコードなら国内盤より輸入盤のほうが安く買えるからというのが理由だったんですが、じきに「日本で知られていないヤバ…
www.youtube.com スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick, 1928 - 1999)監督の名作『2001年宇宙の旅("2001:A Space Odyssey", 1968)』を音吉少年が観たのは小学3年生の夏休みでした。どこで観たのかはよく思い出せないのですが、たしか従兄に付き…
www.youtube.com 7月6日に数々の映画音楽で親しまれたエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone, 1928 - 2020)が亡くなりました。享年91歳でした。 音吉は『ニュー・シネマ・パラダイス("Nuovo cinema Paradiso", 1988)』や『マレーナ("Malèna", 2000)…
今日は、小学生の音吉が熱に浮かされたように聴いていたショパン(Frédéric François Chopin, 1810 - 1849)の作品から『幻想即興曲(即興曲第4番嬰ハ短調 作品66, Fantaisie-Impromptu)の聴き比べをしてみたいと思います。「同じ曲でしょ、じゃあ誰が弾い…
メシアンの音楽に初めて触れた頃のお話にも書きましたが、音吉少年は日曜の夜11時からNHK-FMで放送されていた『現代の音楽』を欠かさず聴いていました。 当時、番組を担当していた上浪渡さんのお喋りは、正直に言いますが好きではありませんでした。作曲者や…
1963年のロードランナー・ショーです。 1943年の作品。エンディングがポーキーのバージョンです。 音吉の少年時代は、以前にアップした『トムとジェリー(Tom and Jerry)』はもちろん、『ルーニー・テューンズ(Looney Tunes)』なしでは語れません。とはい…
www.youtube.com 音吉少年にはお爺さんのお友達がいました。ピシェさんというフランス系カナダ人の神父様で、既に頭頂部に御髪はなく、丸眼鏡をちょんと鼻に乗せて上目遣いに人を見る癖のある小柄なお爺さんでした。お年の割には身のこなしが機敏で、白いリ…
www.youtube.com 高校受験の勉強たけなわの、中学3年生の夏休みのことでした。昼下がりに居間でゴロゴロしていたら電話がかかってきました。 ベルリン自由大学に留学していた従兄が一時帰国し、「遊びに来い」 とのお達し。音吉の母は、「音吉が受験生だっ…
www.youtube.com 音吉の父が持っていたクラシックの音楽全集。10巻は軽くあったかな。白いハードケースにレコードと立派な装丁の解説書が入っていて、クラシック音楽を体系的に聴くことができるという以外は版元も覚えていないんですが、たったひとつ、覚え…
小学2年生の時、音吉は都会から田舎の学校に転校しました。そこで待ち受けていたのは、豊かな自然でもなければ純朴な友達でもなく、壮絶な虐めでした。 それも小学校を卒業するまでの4年間です。3年生までは、チラホラとあった虐めを先生がカバーしてくれ…
www.youtube.com 現代音楽と呼ばれるジャンルのレコードを音吉が初めて買ったのは小学5年生の時でした。 それまで熱に浮かされるようにショパンを聴いていた音吉でしたが、憧れのショパン弾きだったサンソン・フランソワ(Samson François, 1924 - 1970)が…
ディスク社の音楽雑誌『世界名曲シリーズ』第4集より レコード世代の方なら、たぶん「ソノシート(Sonosheet, [英] Flexi disc)」のことはご存知でしょう。ペラペラの塩化ビニール製レコードで色は様々。サイズはシングル盤と同じ17センチ(稀に8センチ盤…
www.youtube.com 音吉が大学生だった1981年8月のことです。 アルバイト先だった通信社でベルの音がオフィスに鳴り響きました。記事のタイトルに"urgent"の文字が打ち込まれた速報が流れると、決まってテレックスが鳴らすアラートでした。 速報は数分から数…
www.youtube.com 音吉が高校生だった1970年代の後半はラジオ番組の全盛期で、深夜放送だけではなく、今思えば価値ある番組がオンエアされていました。 とりわけ音吉が忘れられないのは、NHK第一の16時台に週一で放送されていた民謡の番組で、パーソナリテ…
www.youtube.com 3楽章のみです。全曲を聴きたい方はこちらをどうぞ。 https://www.youtube.com/watch?v=8z72vIfeINo 子供時代にクラシック音楽に親しみ、モーツァルトが嫌いだったという方は、あまりいないんじゃないでしょうか。明快で愛らしいモーツァル…
www.youtube.com 音吉が中学生になって買ってもらったいちばん高価なものは、ソニーのマルチバンド・ラジオでした。スカイセンサー5500(ICF-5500A, 1973年発売。\18,800)といって、上位機種のスカイセンサー5800(ICF-5800, \20,800)とともに当時の日本に…
www.youtube.com ビートルズの『抱きしめたい』を紹介した時に、音吉の家にご近所の学生寮に住む学生たちが出入りしていたお話を書いたんですが、その一人にインド哲学を専攻していたニシダさんという学生さんがいました。 ボサボサ頭に分厚い唇。日焼けして…
www.youtube.com 大阪万博が開幕して世が万博一辺倒になった1970年の春休みのことでした。 当時小学6年生になったばかりの音吉は、街のレコード店で流れていた音楽に即、感電してしまいました。ビートの効いた子供にも親しみやすいバブルガム・サウンドを、…
国際的な慈善コンサートなんかで、成功に酔いしれたミュージシャンが顔を紅潮させて、 「音楽で繋がろう! 音楽に国境はないんだ!」 なんて絶叫する光景を目にすることがあります。 世界中、言葉が通じなくとも食事を共にし、酒を酌み交わせば仲良くなれる…
www.youtube.com 音吉が大学生の時のことです。 西武線(何線だったかは忘れちゃいました)沿線に住む友人が、喫茶店で都市伝説を語り始めたんです。 「正午過ぎに西武線に乗ると宇宙人に接近遭遇する」 と。 「電車で移動してるってこと?」 「そーなんだよ…
www.youtube.com つい先日、『トムとジェリー(Tom and Jerry)』第2期(1961 - 1962)の制作監督を務めたイラストレーターでアニメーターでもあるジーン・ダイッチ(Gene Deitch, 1924 - 2020)の訃報が目にとまりました。4月16日にプラハの自宅でお亡く…
www.youtube.com 以前に取り上げたノートルダム楽派のギヨーム・ド・マショーから200年も経たぬ15世末、西欧の音楽はノートルダム楽派の頃のオルガヌム(Organum, 四度か五度の二声の和声)のような素朴なポリフォニー(Polyphony, 多声音楽)から更に複雑な…
父の持つ赤盤(赤い色のレコード)の中に、ひときわ子供心をくすぐるものがありました。ジャケの体裁も立派なハードボックスで、レコードは一枚しか入っていないのに、ライナーノーツがちょっとしたムックの体裁になっているもので、シンプルで美しいサウン…
音吉が小学4年生の時のことです。 音吉の自宅にはピアノがあり、音大で教鞭をとっていたS先生が週に2回、ピアノの個人レッスンをしていました。音吉も教わっていたのですが、ある日のこと、音吉と入れ替わりに見知らぬお婆さんがレッスンの部屋に入ってい…
音吉少年の自宅のそばには某ミッション系大学の学生寮があり、プロテスタント教会(日本基督教団)の牧師をしていた父の許には、寮に住む学生が頻繁に出入りしていました。 そんな学生の中に音吉を実の弟のように可愛がってくれたエンドーさんという方がいて…