イタリア・オペラを観ると、
「こりゃ日本でいえば歌舞伎か新国劇ってところだな」
と音吉は思うんです。オペラの化粧も、時代を遡るほど歌舞伎の隈取りにも似た独特のものになりますし、熱狂的に「ブラボー(ブラバー、ブラビー)」と声のかかる様は、「成駒屋っ」「松島屋っ」と絶妙なタイミングで声をかける大向こうにそっくりです。
内容的にも、歌舞伎や新国劇が仇討ちや悲恋ものなど明確なタイプ分けができるのと同じく、その国の人々の心のツボともいうべき浪花節に沿った類型化がオペラにもみられます。大衆文化には、日本の時代劇にみられるようなステレオタイプが必須なのかもしれません。
今回は18世紀に活躍し、生前は超売れっ子でありながら現代ではほとんど名を聞かないオペラの作曲家レオナルド・ヴィンチ(Leonardo Vinci, 1696 - 1730)の『アルタセルセ(Artaserse)』を取り上げたいと思います。
ルネサンスの天才と一字違いの紛らわしい名前をもつレオナルドは、「サンピエトロ・ア・マジェラ音楽院(Conservatorio di San Pietro a Majella)」の前身である「貧しきイエス・キリスト音楽院(Conservatorio dei Poveri di Gesù Cristo)」で音楽を修め、その後は瞬く間にオペラの作曲家として名が知られるようになり、一時は先日紹介したカストラートのファリネッリのために曲を作るなど人気の絶頂にあったんですが、病気にでもなったんでしょうか。1728年にナポリの修道院に引き取られ、翌々年1730年に貧困のうちに亡くなりました。毒殺説もあるようですが、経緯と事の真偽は分かりません。出自も含めて謎が多い上に、売れっ子ならでの風説が付きまとっているので分からないことだらけ、という人物ではあります。
34年という短い人生の割には多作家なんですが、とくに初期の作品で現存しないものや、残っていても断片的なスコアが多いのもレオナルドの特長と言えます。
19世紀にはすっかり忘れ去られてしまったレオナルドですが、死の年に作曲された『アルタセルセ』が2012年に再演されて以来、再評価と研究が進んでいます。このオペラは、レオナルドと同じく売れっ子だった詩人にしてオペラの台本作家でもあったピエトロ・メタスタージオ(Pietro Metastasio, 1698 - 1782)と連携して作った作品で、レオナルドの死後も暫くは上演が続いたほどの人気オペラでした。
内容は、古代ペルシャ王アルタクセルクセス1世(Artaxerxes I[在位]465BC - 424BC)を題材にした悲恋と仇討ちという超欲張りなストーリーで、カストラートの記事でも書いたように、当時は女性が舞台に上がることをヴァチカンが禁じていたため、女性の役目はカストラートと呼ばれる去勢した男性歌手が担っていました。
2012年の再演では、現代にあっては最高峰のカウンター・テナー歌手のフランコ・ファジョーリ(Franco Maximiliano Fagioli, 1981 - )がアルタセルセの友人アルバーチェを熱演して観客を沸かせました。歌詞が分かるとフランコの手振り身振りのもつ意味も分かり、快演ともいえるフランコの素晴らしさがより深く理解できると思います。
Aria: Vò solcando un mar crudele
アリア:私は冷酷な海で
原: Vò solcando un mar crudele Senza vele e senza sarte,
日: 私は冷酷な海で帆も縄も無しで航海しています。
原: Freme l'onda,
日: 波が震え、
原: il ciel s'imbruna
日: 空が暗くなり、
原: Cresce il vento
日: 風が強まり、
原: e manca l'arte
日: 術は無くなり、
原: E il voler della fortuna Son costretto a seguitar.
日: そして幸運に頼る他はありません。
原: Infelice in questo stato Son da tutti abbandonato
日: 惨めなことに私は皆から見捨てられています。
原: Meco sola l'innocenza Che mi porta a naufragar.
日: 身の潔白だけが私を難破から逃れさせてくれるのです。
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