音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ラヴィ・シャンカルの思い出

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 ビートルズの『抱きしめたい』を紹介した時に、音吉の家にご近所の学生寮に住む学生たちが出入りしていたお話を書いたんですが、その一人にインド哲学を専攻していたニシダさんという学生さんがいました。
 ボサボサ頭に分厚い唇。日焼けしているわけでもないのに浅黒い肌。いつもクタクタのYシャツにダブダブのズボン。牛乳瓶の底(今時の若者には通じないか、この表現)みたいな眼鏡をかけていて、どことなくマッド・サイエンティスト然としたニシダさんでした。
 彼は口数が少ないうえに表情に乏しく、とっつきにくい印象を与える人でしたが、子供の音吉が何気なく発する問いにも真剣に答えてくれる誠実な人柄の方でもあり、音吉が大好きな学生さんの一人でした。
 ある日のことです。いつものように学生寮に住んでいたお友達のエンドーさんを訪ねると、お香の焚かれた部屋で摩訶不思議な音楽が流れていました。部屋にはニシダさんもいました。ニシダさんはプレイヤーを持っておらず、自分のレコードをエンドーさんのところで聴かせてもらうのが常だったんです。
 何なんだろう、この楽器は。
 弦楽器には違いないのですが、無数の細かい水滴が霧状に注いでくるような音と、鋭いけれど耳障りではないメロディを、ひとつの楽器で同時に奏でているようです。打楽器の刻む軽やかなリズムに乗って、それまでに聴いたことのない旋律が幻想的に流れていきます。音吉は瞬く間にこの音楽に引き摺り込まれていきました。
「すごく綺麗…」
 と呟くと、ニシダさんは低く抑揚のない声で、
「音吉くんはこの音楽が好きなんですね」
 と言いました。ニシダさんは、子供の音吉にも「です」「ます」で語りかけてくれる人でした。
「好きです。こんな音楽、初めて聴きました。何の音楽ですか?」
 音吉も、ニシダさんとお喋りする時は自然に言葉遣いが丁寧になります。
「インドの音楽で、ラヴィ・シャンカルのシタールです」
「???」
シタールというのはインドの伝統楽器で、複雑な構造のギターみたいなものだと思ってください。ラヴィ・シャンカルはシタールの名手で、ビートルズにも深い影響を与えています」
「インドの民族音楽ですね」
 とこかで聞き知った言葉を知ったかぶって使うと、
民族音楽民族音楽…」
 ニシダさんは少し首をかしげながら反芻し、少し間を置いて音吉にこう言いました。
「その通りです。ところで君の大好きなクラシック音楽ですが、インドの音楽が民族音楽なら、クラシックはどんなジャンルの音楽ですか?」
 変なことを訊くなぁ、と思いながらも、
「クラシックはクラシックですよね」
 と答えると、ニシダさんはたたみ掛けるように尋ねてきました。
「クラシックはインドの音楽ですか、それとも日本の音楽ですか?」
「やー、そういう意味ならヨーロッパの音楽でしょう」
 ニシダさんは言いました。
「クラシックは古典という意味です。ならば僕たちがクラシックと呼んでいる音楽は古典的なヨーロッパの音楽ということになります。ところで音吉くんはインドの音楽を民族音楽だと言いましたね?」
「あ、はい」
「ならば同じ理屈で、クラシックは西欧の古典的な民族音楽であるといえます」
 音吉は変な違和感を覚えてこう言いました。
「あー。でもインドの音楽を習ってる友達なんていないし。僕がピアノを習う時だって、チェルニーとかモーツアルトとかバッハだし。インドの音楽を弾くことはありませんよ。やっぱりインドの音楽って特殊なんじゃないですか」
 音吉の言うことに頷きながらニシダさんは言いました。
「日本の音楽だって、滝廉太郎とか團伊玖磨だったらともかく、琴や尺八のような伝統音楽をピアノで弾くことはほとんどないでしょう。つまり音吉くんやお友達は、日本のものでもなければインドのものでもない、西欧の音楽を自分のものであるかのように聴いたり、学んだりしているんです。そして、そうではない音楽を民族音楽と呼んでいるわけです」
 その通りでした。頭の中で何かがパチンと弾け、二度と元に戻らないほど壊れてしまった感覚が身体の芯を突き抜けていきました。
「ヒトってね、何かを判断する時に必ず基準にしていることがあるんです。音吉くんが音楽に接する時は、西欧の音楽を基準にしていて、基準と違う時には、これは日本の音楽だ、日本の音楽でもないからどこかの民族音楽だと整理をつけるんです」
 呆然とする音吉が気がかりだったんでしょうか、ニシダさんは続けて言いました。
「良いとか悪いとか、正しいか間違っているかなんてお話ではないんです。音吉くんだけじゃなく僕も含めて、僕らがいちばん知らずにいるのは自分自身だということです。面倒くさいかもしれないけど、音楽を通じて自分を見つめ直してみるのは楽しいことだと思いませんか?」
 その問いにどう答えたんだっけ? 残念ながら思い出せません。ただ、その時を境にして音吉が新たな世界に踏み込んだことだけは確かです。羊膜に守られ、心地よい羊水に身を委ねていた安らかな少年時代は、一瞬にして終わってしまったのでした。
 ラヴィ・シャンカルとシタールについては後日、彼の娘アヌシュカーと共に取り上げたいと思います。