音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ジュリエット・グレコと『パリの空の下』

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 音吉少年にはお爺さんのお友達がいました。ピシェさんというフランス系カナダ人の神父様で、既に頭頂部に御髪はなく、丸眼鏡をちょんと鼻に乗せて上目遣いに人を見る癖のある小柄なお爺さんでした。お年の割には身のこなしが機敏で、白いリネンのシャツの袖をまくり、片手にじょうろを持ち、飛び回るように教会の花壇の世話をしていたのを今でも鮮やかに思い出します。
 音吉に気付くと、少し身体をかしがせてお辞儀をし、
「音吉さん、よく来てくれましたね!」
 と、両手で音吉の手を包み込むように握手をしてくれました。
 たいていはお三時の招待だったので、ピシェ神父様にとっては音吉の登場が休憩の印だったんでしょうね。満面の笑みで音吉の手を引き、書斎に引っ張りむと、早々に用意していたお茶やお菓子をふるまってくれました。
 一時間ほどのお茶会のほとんどは、とりとめもないお喋りとレコード鑑賞。レコードとはいってもクラシックではなくシャンソンエディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915 - 1963)にダミア(Damia, 1889 - 1978)、イヴ・モンタン(Yves Montand, 192 - 1991)、シャルル・トレネCharles Trenet, 1913 - 2001)、サルヴァトール・アダモ(Salvatore Adamo, 1943- )、バルバラ(Barbara, 1930 - 1997年)、シャルル・アズナヴール(Charles Aznavour, 1924 - 2018)などなど、二人で聴いたシャンソン歌手の名を挙げたらきりがありません。
 神父様は接客用のソファから立ち上がると、
「さあ、今日は何を聴こうか?」
 と呟きながら、ぎっしりとレコードが並んだ棚に向かい、レコードを引っ張り出しては眼鏡を額に持ち上げてジャケットに目を通します。そしてお目当てのレコードをプレイヤーにセットすると、お気に入りの古風な安楽椅子に腰掛け、足を組んで頬杖をつき、目を閉じて歌に聴き入っていました。
 音吉は、この無言の、音楽を共有する時間が本当に好きでした。曲が終わるたびに、掛け時計の奏でるカチコチという音が聞こえてきます。おミサに使うお香に書斎独特の本の匂いが入り交じりあい、部屋には豊かで静かな時が流れていました。
 神父様は、ケベックでの少年時代やパリやローマで過ごした神学生の頃の思い出をたくさん聴かせてくださいましたが、やっぱり鮮明に覚えているのはシャンソンについてのお話ですね。もちろん個々の歌や歌手についてのお話もありましたが、伺っていていちばん面白いと感じたのはシャンソンの歴史でした。以前にアップしたギヨーム・ド・マショーのことも、
「彼は僕と同じ神父さんでした。でも神さまのための歌より恋人たちの歌を作るほうが好きだった。僕もおミサの歌よりシャンソンのほうが好きだから、死んだらギヨーム・ド・マショーと同じぐらい神さまに叱られますね。でも『分かっちゃいるけど止められない♪』」
 なんて茶目っ気たっぷりに説明してくれましたから、小学生には難しい内容でも簡単に理解することができました。
 そんなピシェ神父様が、
「悪い考えを持っていますから聴いてはいけません」
 と顔をしかめた歌手が二人いたんですが、お分かりになりますか?
 答えはジュリエット・グレコ(Juliette Gréco, 1927 - )とセルジュ・ゲンスブールSerge Gainsbourg, 1928 - 1991)です。

 セルジュ・ゲンスブールは背徳を売りにしていましたから「真にもってけしからん存在」だったでしょうし、そもそも音吉のような少年が聴くなど以ての外ではありました。
 では、ジュリエット・グレコがなぜ神父様のお気に召さなかったかというと、彼女が「実存主義のミューズ」などともてはやされていたことがいちばんの理由でした。

 サルトルは「実存主義とは、一貫した無神論的立場から一切の帰結を引き出すための努力に他ならない」(伊吹武彦訳『実存主義とは何か 実存主義ヒューマニズムである』人文書院)という神なき実存主義の旗頭でしたから、サルトルと親交があり、髪の毛から服に至るまで黒ずくめだったジュリエット・グレコは、さしずめ悪魔の手先と映ったんじゃないでしょうか。
 実をいえば、神父様には内緒にしていましたが、その頃、すでに音吉は「悪魔の手先」の大ファンになっていたのです。テレビで彼女の歌う姿を観たのがきっかけだったと思います。黒ずくめのファッションで、独特の身振り手振りを交えながら歌う様は「カッコいい」の一言でした。
 歌っていたのは『パリの空の下("Sous le ciel de Paris")』。作詞はジャン・アンドレ・ドレジャック(Jean Dréjac, 1921 - 2003)、作曲はユベール・ジロー(Hubert Giraud, 1920 - 2016)。

 シャンソンを代表するあまりにも有名な歌で、ピアフやイヴ・モンタンなどの大御所の持ち歌となったほか、ジュリアン・デュヴィヴィエ(Julien Duvivier, 1896 - 1967)監督の映画『パリの空の下セーヌは流れる("Sous le ciel de Paris", 1951)』ではリーヌ・ルノー(Line Renaud, 1928 - )が歌っています。
 ジュリエット・グレコについては、あまりにもいろいろと書きたいことがあるので、いずれ何回かに分けてアップしていきたいと思っています。
 祖父のように慕っていたピシェ神父様もすでに帰天され、音吉自身、当時の彼に歳が近づいてきたわけですが、彼が撒いてくださったシャンソンエスプリが、その後の音吉の心にもたらしてくれた実りを思うにつけ、神父様には感謝の思いが心の奥底から湧き上がってきます。
 神父様、グレコゲンスブールが好きになっちゃってごめんなさい。長い間、実存主義に傾倒して教会に行かなかったことも、ごめんなさい。模範的な信徒ではありませんが、今では信仰を妻と共有し、毎週ではありませんがおミサにも与っています。カトリック信仰に身を委ねるきっかけは神父様だったのかもしれませんね。またお目にかかるのを楽しみにしています。またお茶やお菓子をいただきながらシャンソンを聴きましょう!
 
Sous le ciel de Paris
Coule un fleuve joyeux
Hum Hum
Il endort dans la nuit
Les clochards et les gueux

パリの空の下
河は喜びいっぱいに流れる
そして夜になれば
乞食や浮浪者を眠らせてくれる

Sous le ciel de Paris
Les oiseaux du Bon Dieu
Hum Hum
Viennent du monde entier
Pour bavarder entre eux

パリの空の下
神様に遣わされた鳥たちが
お喋りに明け暮れようと
世界中からやって来る

Et le ciel de Paris
A son secret pour lui
Depuis vingt siècles il est épris
De notre Ile Saint Louis

そしてパリの空には
とある秘密がある
2000年にわたって首っ丈なんだ
僕らのサン・ルイ島にね

Quand elle lui sourit
Il met son habit bleu
Hum Hum
Quand il pleut sur Paris
C'est qu'il est malheureux

サン・ルイ島が微笑むと
パリは青いコートを身に纏う
パリに雨が降れば
パリが悲しんでいるということ

Quand il est trop jaloux
De ses millions d'amants
Hum Hum
Il fait gronder sur nous
Son tonnerr' éclatant

パリが大勢の恋人たちのことを
ひどく妬む時は
彼らの上に
雷鳴をとどろかせる

Mais le ciel de Paris
N'est pas longtemps cruel
Hum Hum
Pour se fair' pardonner
Il offre un arc en ciel

でも、パリの空は
いつまでも邪険なわけじゃない
お詫びの印に
虹をかけてくれる