音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

「音楽に国境はない」っていうけど…

 国際的な慈善コンサートなんかで、成功に酔いしれたミュージシャンが顔を紅潮させて、

「音楽で繋がろう! 音楽に国境はないんだ!」

 なんて絶叫する光景を目にすることがあります。

 世界中、言葉が通じなくとも食事を共にし、酒を酌み交わせば仲良くなれるし、基本的なルールの理解があればスポーツやダンスを通じて友情を育むこともできます。音楽もその意味では同じ役割を果たすことができるわけです。

「そんな当たり前のことを何で知ったかぶって言うわけ?」

 とお叱りを受ける前に、今回はサン=サーンスCharles Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921)の交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」(Symphonie n° 3 ut mineur op.78, avec orgue)から第2楽章の後半を聴いてみていただきたいと思います。音が悪くて恐縮ですが、ちょっとこれを超える演奏が見当たらなかったのでお許しください。演奏はジャン=クロード・カサドシュ(Jean-Claude Casadesus, 1935 - )指揮のリール国立管弦楽団(L'Orchestre National de Lille [ONL])です。

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「あれぇ、どっかで聴いたことがあるような、ないような?」

 そう思った方は、もしかするとアニメ『ルパン三世』で耳にしたかもしれません。第87話と124話、145話に挿入曲として使われているようなので[Wikipedia日本語版による]。派手で印象深い曲想のせいでしょうか、なんとなく使われ方が想像できて面白いですね。

 サン=サーンス自身が「自分のすべてを注ぎ込んだ」というほどのことはあって、音楽史的にもこの作品は見どころ満載なんですが、今回はお話の核心からズレちゃいますのでこの辺にしておきたいと思います。

 

 カサドシュは、パリ国立歌劇場管弦楽団(Orchestre de l'Opéra national de Paris)、パリ・オペラ=コミック座管弦楽団(Théâtre national de l'Opéra-Comique)の常任指揮者を歴任した後、1976年にリール国立管弦楽団を創設し、2016に現在のアレクサンドル・ブロッホAlexandre Bloch)に引き継ぐまでの40年間にわたって音楽監督を務めたフランスを代表する指揮者です

 さて、同じ曲を今度はヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan, 1908 - 1989)指揮のベルリン・フィル(Berliner Philharmoniker)で聴いてみてください。カラヤンベルリン・フィルについてはまた別の機会に触れたいと思いますが、前世紀のドイツ語圏にあってはカール・ベーム(Karl Böhm, 1894 - 1981)指揮のウィーン・フィル(Wiener Philharmoniker)と双璧をなす大指揮者でした。

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 どうでしょうか。同じ曲なのに随分と違って聞こえませんか?

 どちらも名演なんですが、紡ぎ出す音の質がまるで違うと音吉には感じられます。

 カサドシュ指揮リール国立管弦楽団の演奏は、各パーツの音が自由奔放に飛び回り、カサドシュはそれを押さえつけるどころか歓迎して楽しんでいるかのようです。リスナーからみれば、ディズニ―ランドのナイト・パレードで様々な山車と打ち上がる花火を見物するような楽しさがあります。

 それに比べてカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏はどうでしょうか。統率のとれた一糸乱れぬハーモニーは金属のような光沢を放ち、重厚で清澄なオケの音が氷の玉座にましますカラヤンに収斂するするかのようです。それゆえリスナーは、荘重で幾何学的なゴシック様式の聖堂を見上げるような畏怖の念を覚えるのです。

 同じ曲でも演奏者によってまるで違って聞こえることがあるのは、クラシック音楽を楽しむ醍醐味のひとつ。

 先の例は、指揮者の、そしてオケの個性による違いなんですが、はたしてそれだけなんでしょうか?

 こうしたことは他の演奏者の比較においても如実に現れます。オルガンならヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha, 1907 - 1991)とマリー・クレール・アラン(Marie-Claire Alain, 1926 - 2013)のバッハ。歌曲ならスゼー(Gérard Souzay, 1918- 2004)とフィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau, 1925 - 2012)のフォーレ。イ・ムジチ(I Musici)とシュツットガルト室内管弦楽団(Stuttgarter Kammerorchester)のヴィヴァルディなどなど、挙げればキリがありません。

 ちょっと視点を変えて、どちらがスタンダードな演奏家を考えてみましょう。ここで言うスタンダードとは、作曲家の一般的な印象に即しているかどうかということです。

 ヴァルヒャとマリー・クレール・アランのバッハなら、バックハウスで触れたテンポ・ルバート(一定のフレーズでテンポを自在に変化させる手法)を多用するマリー・クレール・アランの演奏に比べて、ヴァルヒャがスタンダードであるといえます。イ・ムジチとシュツットガルトでは、定規で区切ったようなシュツットガルトよりも、イ・ムジチの軽快で色彩感溢れる演奏のほうがヴィヴァルディについてはスタンダードでしょう。スゼーとフィッシャー=ディースカウでは、仏語の発音の出来不出来とテンポや間の自由度という点でスゼーに軍配が上がります。

 こうしてみると、作曲家と演奏家の文化圏が一致すると「らしく」なることが分かります。関西弁や東北弁を、そうではない文化圏で成長した人がどんなに上手く真似をしても、ネイティブの関西人や東北人には見破られるのと同じことなのかもしれません。

 料理や伝統芸能の世界と同様に、国境がないはずの音楽でも「越えられない壁」は厳然とあるのではないでしょうか。

 もちろん、これは文化の根深さや奥深さを物語ってはいても、それ以上の意味はありせん。異文化と交わることで新たな可能性や新境地を切り開きながら、現在の文化は変化を遂げてきたものですし、これからもそうあるものだからです。

 クラシック音楽には、作曲家の意図を忠実に再現するあり方だけではなく、もうひとつの楽しみ方があります。それは演奏家の解釈によって、作曲者のもつ魅力が従来より際立って感じられたり、新たな魅力が見いだされるケースです。

 ピアニストでいえば、前者はサンソン・フランソワ(Samson François, 1924 - 1970)のショパンであり、後者はグレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932 - 1982)のバッハでしょうか。

「楽譜をただ演奏してるだけじゃん」

 だからクラシック音楽はつまらない、と思っている方は決して少なくありません。でも音吉は思うのです。

クラシック音楽はそんなにつまらないものでも、単純なものでもない」

 と。

 ジャンルにかかわらず、音楽とは「国境を越える力」があるという言う意味で普遍的であり、一方で「越えられない壁」があることで多様性を担保している存在なのではないでしょうか。

 

注:カサドシュの演奏は現在、CDでは出ておらず、DVDも中古のみ入手可能です。

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