音吉の父が持っていたクラシックの音楽全集。10巻は軽くあったかな。白いハードケースにレコードと立派な装丁の解説書が入っていて、クラシック音楽を体系的に聴くことができるという以外は版元も覚えていないんですが、たったひとつ、覚えていることがあります。
たしか中世以前の音楽という、やたらとざっくりした切り口で、グレゴリオ聖歌を中心にした構成の巻だったと思います。グレゴリオ聖歌に至る古代の旋法が具体例として何曲か選ばれていたんですが、中に不思議な音楽というか、当時の音吉には音の切れ端みたいに思える曲が入っていました。
『セイキロスの碑文(Seikilos epitaph)』。セイキロス墓碑銘とかスコリオンとも呼ばれていますが、音楽のタイトルとしても実に不思議でした。父に聴くと、
「新約聖書に『エフェソの信徒への手紙』ってのがあるだろう。エフェソスは今のトルコにあったギリシャ人の都市なんだが、その近く(正確にはアイドゥン[Aydın]近郊)で発掘された墓石があってね。それに古代ギリシャの歌の楽譜が刻まれていたんだよ。当時の音楽で完璧な楽譜が残っているのは今のところ、これだけなんだ。もの凄く貴重な資料ってこと」
プロテスタント教会の牧師だった音吉の父は古代ギリシャ語を勉強していたので、息子の尋ねるままに墓誌や歌の歌詞を教えてくれました。
まず歌詞ですが、次のようなものです。
Ὅσον ζῇς φαίνου
μηδὲν ὅλως σὺ λυποῦ
πρὸς ὀλίγον ἔστι το ζῆν
το τέλος ὁ χρόνος ἀπαιτεῖ。
命あるうちは輝いてください
けっして思い煩わないでください
人生はほんのつかの間
時はいつも命の期日を求めています
墓誌には、こんな文言が刻まれています。
Εἰκὼν ἡ λίθος εἰμί.
Τίθησί με Σείκιλος ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον.
私は墓石。
セイキロスがここに建てました。不死の、永久の思い出の印として。
そして最後に、
Σείκιλος Εὐτέρ[πῃ]
セイキロスからエウテルペ(へ)
と、恐らくはセイキロスの妻であろうエウテルペへの献辞が記されています。
歴史上の人物でもなければ他に記録もないため、墓石が刻まれた年代は特定が難しいのですが、現時点では紀元前2世紀から紀元1世紀のものとされています。
「これが楽譜? どうやって読むの?」
この質問には、さすがに父も答えられませんでした。
ネットのおかげで、最近になって刻まれていたのが音程(音の高さ)と音価(音の長さ)を記録できる記譜法であったことを知り、今更ながら古代ギリシャの文化水準の高さに驚いています。
どんなふうに記譜するかというと、先ず歌詞の上に音程がアルファベットで記され、更にその上に音価を示す記号を付けていきます。
「え、それだけ?」
と思われるかもしれませんが、それだけなんです。世にいう「コロンブスの卵」の典型ですね。
音程・音価のどちらが欠けても譜面だけで音楽を再現することはできないわけで、これは文字の発明と同様に歴史的な快挙なんですが、どうしてか後のローマ時代にこの記譜法が継承されることはありませんでした。音程はともかく音価が分からないのです。これはグレゴリオ聖歌などに用いられたネウマ譜も同じでした。音価を無視した理由については様々な推論があるのですが、音吉が納得できるものがないので、ここでは触れません。後の研究成果に期待したいと思います。
再現された『セイキロスの碑文』は、シンプルで実のある旋律と歌詞が心に滲みる楽曲です。他にも古代ギリシャの楽譜はあるのですが、残念なことにいずれも断片を残すのみ。いまのところ完璧なのは『セイキロスの碑文』だけですが、もしかすると2曲目、3曲目が発見されるかもしれず、
「せめてもう一曲、生きているうちに発掘されないかな」
なんて取らぬお墓の石算用をしている音吉です。