音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

レッド・ツェッペリンのファースト・アルバム『Red Zeppelin I』

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 1969年のことです。小学4年生だった音吉は、創刊されたばかりの『週刊少年チャンピオン』と、アポロ11号の月面着陸に首ったけの夏休みを過ごしていました。
「夏休みの宿題は進んでるの?」
 と、母親がやきもきしだした8月の中旬だったと思います。何気にテレビの電源を入れると、突然、これまでに音吉が聴いたことのない種類の音楽が居間いっぱいに鳴り響きました。画面にはブロンドの長髪をなびかせた男性がマイクのバーを斜めに倒して絶叫し、その脇で黒々とした長髪のギタリストがエレキギターをヴァイオリンの弓で弾いているじゃないですか。この二人だけじゃなくベーシストもドラマーも長髪だし、全員がパンタロンを穿いているし。なんと音吉がその時に観た映像がYouTubeにアップされていたのでシェアします。

 ファッションや飛び出すサウンドを奇異に感じたのは初めだけで、音吉は忽ち彼らの音楽に惹かれていきました。洋楽のポップスは大好きだったので、当時の一般的な小学生に比べれば突出していろいろなサウンドを聴いていたんですが、こんなにソリッドでタイトな音楽には接したことがありませんでした。
 それがイギリスのハードロック・バンド『レッド・ツェッペリン(Red Zeppelin)』との出会いでした。以降、1980年の解散に至るまで、レッド・ツェッペリンは音吉の生活の一部となります。
 ファースト・アルバム『Red Zeppelin I』は既に日本でも1969年の1月には発売されていましたが、なにせ音吉はお金のない小学生。手に入れたのは同年のクリスマスでした。
 嬉しかったですねぇ! 飛行船ヒンデンブルグ号が爆発しながら墜落する様子がデカデカと描かれた(正確には写真の点描)ジャケットを抱えて狂喜乱舞する小学生の我が子を見て、両親は口にこそ出しませんでしたが不安げでしたね。
 テレビで聴いた曲は『Dazed and Confused(邦題:幻惑されて)』だったんですが、バブルガム・サウンドの影響でしょうか。音吉はA面の1曲目『Good Times Bad Times』とB面の3曲目『Communication Breakdown』が大好きでした。A面、B面なんて今の世代が聞いたら「なんのこっちゃ?」だろうな、たぶん。

 レッド・ツェッペリンについては、これから先、アルバムごとに分けてアップしていきますので、今回はデビュー当時のお話を書きたいと思います。
 1968年の夏のことです。イギリスのブルース・ロック・バンド『ヤードバーズThe Yardbirds)』が解散。たった一人残ったギタリストのジミー・ペイジ(James Patrick "Jimmy" Page, 1944 - )は、セッション・ミュージシャンとして評判の高かったベーシストのジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones, 1946 - )に、当時は無名だったヴォーカリストロバート・プラント(Robert Anthony Plant, 1948 - )とドラマーのジョン・ボーナム(John Henry Bonham, 1948 - 1980)を加えて新生ヤードバーズを結成します。これを改名したのがレッド・ツェッペリンでした。
 結成当時の業界の反応は芳しいものではありませんでした。ローリング・ストーン誌などは、
ジェフ・ベックJeff Beck, 1944 - )と大差ないサウンドで、しかも下手」
 なんて身もフタもない評価をしています。しかもファースト・アルバムに収録された曲には、現代の著作権からすれば明らかに盗用とみなされるようなものがあり、後の知名度を思えば、なんとも後味の悪い滑り出しでした。とはいえ、
「音楽の光と影を表現したかった」
 というジミー・ペイジの言葉通り、光と影の織りなす躍動感に満ちたサウンドは、やがて業界人の評判を一蹴して、当時の若者たちの心を捉えていくことになります。
 音吉はというと、ショパンを聴いてはうっとりし、レッド・ツェッペリンを聴けば悪ガキになるというジキルとハイド状態が常態化し、来るべき中二病への備えは万全でした。やれやれ。