音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ビートルズの『抱きしめたい』

 音吉少年の自宅のそばには某ミッション系大学の学生寮があり、プロテスタント教会日本基督教団)の牧師をしていた父の許には、寮に住む学生が頻繁に出入りしていました。

 そんな学生の中に音吉を実の弟のように可愛がってくれたエンドーさんという方がいて、音吉は寮に住むエンドーさんの部屋によく遊びに出かけていました。

 大学寮は、昔で言う文化住宅を連ねたような木造平屋の長屋がだだっ広い敷地に何棟も建っているようなところで、特にフェンスなどの境界もなく、近所の子供達にとっては格好の遊び場になっていました。

 幼稚園の年長さんだった1964年のある日、音吉がいつものようにエンドーさんの住む棟に近づくと、どこかで結構なボリュームで音楽が流れているのに気付きました。

 エンドーさんの部屋に近づけば近づくほど音は大きくなり、ドアの前に立った時には音源がエンドーさんの部屋であることが分かりました。

 ドアをノックしましたが返事がありません。いつもなら道産子のおっとりした声で、

「あーい」

 という声がして、天然パーマの髪が頭にちょこんと載ったエンドーさんがヌッと顔をだすんですが。更にしつこくドアを叩くと、不機嫌そうな表情の見知らぬ学生がドアを開け、

「何?」

 と言葉少なに尋ねてきました。小さな玄関には一体、何足あるのか分からないほどの靴が乱雑に脱ぎ捨てられ、重なっていて、いつもとまるで雰囲気が違います。しかも咽せ返るような強い煙草臭までします。

「えと、あの… エンドーさんは?」

 面倒臭ぇという字が彫り込まれたような顔つきでその学生が、

「エンドー! お客さんだぞ」

 というと、入れ替わるようにエンドーさんが出てきてくれました。

「なんだ、音吉かぁ。悪いけど今日はこんな状態だから…」

「この音楽、何? 音吉も聴きたい」

 とせがむと、困った様子ながらも渋々、

「靴は外で脱いでくれよな」

 と、中に入れてくれました。

 玄関とトイレ、そして小さな洗面台のあるスペースの先に襖を隔てて居室があるんですが、エンドーさんが襖を開けると、やっぱり帰ればよかったかなと後悔するような光景が目に飛び込んできました。

 窓には暗幕らしきものが下がっていて部屋は基本、真っ暗。ただレコードプレイヤーのあるところだけは卓上ライトが灯され、床に直置きされたレコードのジャケットに光が当たっています。何よりも驚いたのはレコードを囲むように十人近い学生がぎっしりと座っていたんです。

 ほぼ全員が不機嫌な目つきで音吉を睨み、そのうちの一人が皆の気持ちを代表するように、

「おい、今日は子供の相手をする日じゃないだろう。帰ってもらえ」

 と怒気を含んだ声で言いました。するとエンドーさんが、

「いや、この子は同士なんだ。この年でビートルズの大ファンなんだぞ」

 と言うと、驚いたことに笑い声がして場の雰囲気が急に穏やかになりました。

「そういうことなら仕方ないな。その代わりレコードは最後まで聴け。途中で喋ったり、部屋を出入りするなよ。ということで最初から聴き直すぞ」

 ビートルズって何? と内心、思いながらも、胡坐をかいたエンドーさんの膝にちょこんと座ってレコードを聴くことになりました。

 ”Oh yeah, I’ll tell you something♪”

 当時としては珍しい「ビートの効いた」サウンドに乗って、決して上手いとはいえない歌声が大音量で狭い部屋に鳴り響きます。最初の一曲『抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)』も終わらぬうちに、音吉は初めて聴くビートルズサウンドにすっかり夢中になってしまいました。

 ジャケットには、部屋に集う学生たちとさほど変わらぬ年齢の若者が4人、黒バックに顔だけというデザインで印刷されていました。そしてジャケの天には何やら赤い色の横文字が並んでいます。帯は付いたままだったので縦にカタカナで「ビートルズ!」と書いてあることだけは音吉にも分かりました。

 暗闇に目が慣れてくると、音楽に合わせて小刻みに体を動かす学生たちが見えてきました。なかには目を瞑り、微動だにせず聴いている学生もいます。膝の上に乗っているので、エンドーさんが体を揺すりながら聴いているのも分かります。子供なのに大人の仲間入りができなような気分で、ちょっと誇らしかったですね。

 その後も「レコード・コンサート」は度々催され、その度にエンドーさんに誘われるようになったんですが、はっきりと覚えているのはこの第一回だけ。よほど強い印象を受けたんでしょうね。

 あれから半世紀以上が経ちました。最新の音楽を貪るように聴いていた学生さん達は今、どうしているでしょう? エンドーさんは卒業後に製薬会社に入社し、4人のお子さんに恵まれ、今は定年退職して故郷の北海道で元気に暮らしています。当時の日本の若者にとってビートルズはどんな存在だったのだろう? 機会があればエンドーさんを訪ねてお話を伺いたいものです。

 さて、日本初のビートルズのシングル盤『抱きしめたい』が発売されたのは1964年2月5日。続いてアルバム『ビートルズ!』が発売されたのは4月15日。音吉が聴いたのは、まさにこれでした。日本での『ビートルズ仕掛人』として有名な音楽プロデューサーの高嶋弘之(1934 - )さんが選曲した14曲を収録したもので、ビートルズの当時のヒットナンバーが網羅されている貴重なアルバムです。最後に曲のリストを載せておきますね。余談ですがヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんは、高嶋弘之さんのお子さんです。

 

アルバム『ビートルズ!』

 

A面:

1. I Want To Hold Your Hand(邦題「抱きしめたい」)

2. She Loves You

3. From Me To You 

4. Twist And Shout

5. Love Me Do

6. Baby It's You

7. Don't Bother Me

 

B面:

1. Please Please Me

2. I Saw Her Standing There

3. P.S. I Love You

4. Little Child

5. All My Loving

6. Hold Me Tight

7. Please Mister Postman

 

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