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野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ソノシートとショパン

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ディスク社の音楽雑誌『世界名曲シリーズ』第4集より

 レコード世代の方なら、たぶん「ソノシート(Sonosheet, [英] Flexi disc)」のことはご存知でしょう。ペラペラの塩化ビニール製レコードで色は様々。サイズはシングル盤と同じ17センチ(稀に8センチ盤もありました)で、ほとんどがモノラル盤で片面でした。
「え、フォノシートとかシート・レコードって言わなかったっけ?」
 そう思った方、大正解です。
 ソノシートは、フランスのレコード・メーカーS.A.I.P.社によって1958年に開発されました。そして同年、S.A.I.P.と出版社のHachetteが共同で設立したSonopresse社は、これを「フォノシート(Phonosheet)」として発売を開始。JIS規格でも当初は「フォノシート」で登録されています。
 ところが、翌1959年に朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)が日本での商標を「ソノシート」と登録したため、ソノシートを扱う他社は苦労していろんな名称を考案する羽目になりました。名称の混乱が起きたのはそのためです。
ソノシートは商標で、正確にはフォノシート」
 なんてことを蘊蓄好きは言うかもしれませんが、2005年に生産が終了した今となっては、どんな呼び名でもいいんだと思って頂いていいでしょう。
 ところで、どうしてソノシートが開発され、普通のレコードが一般的になってからも平行して普及していたんでしょうか?
 それは、圧倒的に安い製造コストがいちばんの理由でした。1960年前後のレコードの価格は、LP盤で当時の平均月収の約10分の1、あるいはそれ以上の超高級品でした。月給が15,000円だった御時世に、LP盤は1枚あたり1,500円から、高いものは3,000円もしていたというのですから、どれほどの贅沢品だったかが容易に分かります。それがシングル盤並みの価格で手に入るわけですし、貧弱なプレイヤーしか持てなかった庶民にとって音質はそれほどの障壁にはなりませんでしたから、ソノシートは瞬く間に普及したんです。
 安価に大量生産ができたソノシートは、普通のレコードとは違う進化も遂げていきます。たとえばケネディ大統領の暗殺や東京オリンピックなどの実況中継といったニュースや、爆発的に普及したアニメやドラマの主題曲などの音源として、そして単体だけではなく雑誌の附録として独自の価値を創生していったのです。『月刊朝日ソノラマ』が「音の出る雑誌」というキャッチフレーズで庶民の心を捉えたのは、ソノシートだから成し得た成功だといえます。
 もしご自宅に「音の出る雑誌」が残っていたら、絶対に捨てないでくださいね。後の時代にとっては(既にそうなんですが)、それがたとえテレビ・コマーシャルの音楽であっても、どこかの企業の社主の演説であっても、資料としての価値は大変に高いものだからです。
 さて音吉のことに話を移します。
 もちろん音吉もソノシートの恩恵にあずかる一人でした。『ひょっこりひょうたん島』や『オバケのQ太郎』、『ゲゲゲの鬼太郎』などのテーマ曲はもちろん、クラシックの名曲にいたるまで、ソノシートは大人だけではなく、子どもの日常にとっても欠くことのできないアイテムでしたから。
 初めて聴いたショパン(仏語: Frédéric François Chopin 、波語: Fryderyk Franciszek Chopin, 1810 - 1849)もソノシート音源でした。少年時代の音吉にとって、ショパンは「音楽そのもの」といっていい時期があったのですが、第1号はソノシートの雑音に混じって聞こえるショパンだったのです。しかも、それはピアノではなく、ヴァイオリンとハープによる演奏でした。
 ショパンの遺作とされる『夜想曲第20番 嬰ハ短調』。"Lento con gran espressione(ゆっくりと、とても表情豊かに)"という速度指定がタイトルにもなっている珍しい曲です。初めは『アダージョ』という名前が付けられていたものを、ブラームスが写譜した際にタイトルを落としてしまい、結果、速度指定が曲になってしまったという説もあるようですが、本当のところは分かりません。
 また『夜想曲』という分類もショパンによるものではなく、彼の死後に姉のルドヴィカ(Ludwika Chopin, 1807 - 1855)が未出版作品のカタログを作成した折に『Lento w rodzaju Nocturne(夜想曲風のレント)』としたことで、後に夜想曲として分類されたようです。なので「第20番」としない場合もありますので、あしからず。
 音吉が聴き、今でもヴァイオリン曲としての演奏が一般的になっている同曲ですが、ショパンが作曲したのは、あくまでピアノ曲1830年の作曲となっているんですが、それがなぜ遺作なのかは分かりませんでした)。
 ヴァイオリンとピアノのバージョンは、ウクライナ出身の名ヴァイオリニスト、ナタン・ミルシティン(Натан Миронович Мильштейн, 1903 - 1992)による編曲です。
 音吉が聴いた演奏は、アメリカのヴァイオリニスト、アーノルド・エイダス(Arnold Eidus, 1922 - 2013)とカナダのハープ奏者、グロリア・アゴスティーニ(Gloria Agostini, 1923 - 2004)の共演でした。余談ですが、アゴスティーニはジャズを演奏するハープ奏者としても知られています。
 今回は編曲者のミルシティン自身による演奏をアップします。ミルシティンは傑出した演奏技術の持ち主でしたが、演奏で技巧を見せるのを慎重に避け、音の美しさを引き立て、歌い上げることに腐心した素晴らしい演奏家でした。それゆえ彼は「ヴァイオリンの貴公子」と称されています。

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