音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

向田邦子とNHKドラマ『阿修羅のごとく』テーマ曲

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 音吉が大学生だった1981年8月のことです。
 アルバイト先だった通信社でベルの音がオフィスに鳴り響きました。記事のタイトルに"urgent"の文字が打ち込まれた速報が流れると、決まってテレックスが鳴らすアラートでした。
 速報は数分から数十分のスパンで入電したので、音吉のようなアルバイトがザッと目を通して「これは本当のアージェント」と思ったものをデスク(当務のボス)に渡し、それ以外はヒラの記者に渡すのが常でした。
 昼前で猛烈な飢餓状態にあった音吉は、
「これを整理したら昼飯に行かせてくださいよぉ。餓死寸前なんで」
 なんてベタなお願いをデスクにしながら、いつものようにアージェントに目を通していたら、航空機事故の記事があるのに気付きました。台湾で遠東航空の旅客機が墜落したとのこと。
「デスク、台湾で旅客機が落ちましたよ」
 と口頭で伝えると、
「音吉ちゃん(そう仕事場では呼ばれていました)、スマンが昼飯は後回しだ。じきに乗客名簿が流れるから、日本人らしき名前を洗い出してくれ」
 既に急ぎの記事を何本か抱えていたデスクから無情な指示が飛んできました。
「鬼、悪魔」
 とデスクを呪いながら待つこと数十分。乗客名簿が流れてきました。生死は不明ですが、乗員6名、乗客104名の名簿に、日本人と思しき名前にマーカーで印をつけていきます。「思しき」というのは、名簿がアルファベットで、しかもファースト・ネームが頭文字だけのために確定しにくいものがあったためです。
「"S. Shiwa"、か。日本人だろうな、たぶん」
 なんてブツブツ呟いていると、お隣から、
「怪しい名前は、頭に"?"マークを付けといて。とにかくスピード優先でね」
 と、優しい記者のツヅキさんがアドバイスをくれます。
「じゃあ、この"K.Mukoda"ってのも"?"にしちゃいますね」
「あ、そりゃどう考えても日本人でしょ。"むこうだ"だよ」
「"K.むこうだ"…。向田邦子だったりして!」
 ツヅキさんは真顔で言いました。
「そうかもしれないよ。そこには下線を引いといて」
 音吉は言われるままに下線を引き、作業を続けました。
 マークをし終えて数を数えると、ほぼ確実に日本人だと思われる人だけでも10人を越え、"?"の人名を加えると20人近くに上ることが判明。デスクに名簿を渡すと、
「こりゃ大変だ! コピーをとって大至急、下のデスクに渡して」
 通信社は共同通信会館の最上階にあり、下のデスクとは共同通信の当務デスクを指しました。エレベーターを待つ時間がもどかしく、階段を駆け下りて共同のデスクに渡すと、
「これは確認とったの?」
 と不機嫌な表情で音吉に尋ねました。デスクが指差していたのは、音吉が書き込んだ下線部と「向田邦子?」のメモでした。
「いえ、まだです」
「確認もしてないのに、こんな書き込み入れて持ってくんじゃねぇよ!」
 と雷が落ちます。涙目の音吉が詫びる間もなく、
「おい、台湾で墜落事故。日本人と思しき乗客は20名近く。すぐにリストを洗って乗客を確定しろ! それから向田邦子に連絡を取れ。はい、こっちが先! 今やってんのは後回しぃ!!」
 と檄を飛ばして、音吉は既に眼中にない様子。音吉はこれにてお役御免だったので、そのまま階下の食堂に向かいました。
 昼休憩を終えてオフィスに戻るとデスクが、
「音吉ちゃん、下のデスクから伝言で『さっきは怒鳴って悪かった』だと。あとね、やっぱり向田邦子だったよ、さっきの"K.Mukoda"は」
 ガラス窓から見える真夏の青空が急に暗くなったような気がして、音吉は思わず側にあったファックスにもたれかかりました。事故機には向田さんの他に、当時のシルクロード・ブームの火付け役となった志和池昭一郎さんと彼のスタッフ2名を併せて18名の日本人が搭乗していたとのこと。
 向田邦子さん。NHK総合テレビで放映された『阿修羅のごとく』を観て以来、彼女は音吉にとって憧れの存在でした。

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 誰を殺さなくても、ネバーランドを持ち出さなくても、ドラマの舞台は日常に見出せるのだということ。それは読者が文字に目を通した時に、苦労なく鮮やかに画像を結ぶリアルさが小説や脚本にあって、初めて描ききれるのだということ。足下に潜む喜怒哀楽や狂気に気付く力量こそが小説の源泉となること等々、音吉が向田さんの作品を通じて学んだことは、挙げればきりがありません。
 いずれ彼女に出会って、お話のできるような仕事がしたい。そんな雲をつかむような願いを抱いていた音吉にとって、向田さんの死は、大人になるにあたって、ボンヤリしながらも大切にしていた指針を失ったことを意味していました。
 一時は「若かったから、そんなにショックを覚えたのだ」と思っていたこともありましたが、還暦を過ぎて「あれが今に繋がる転機だった」という思いが徐々に深まっています。残された時間がそんなにあるとは思いませんが、1981年8月22日に時計の針を戻して、最後の悪あがきを始めた音吉です。
 さて今日、アップするのは、1979年と翌80年に放送された向田邦子脚本のドラマ『阿修羅のごとく』のテーマ曲です。トルコの有名なメフテル(軍楽、Mehter)『ジェッディン・デデン(祖父も父も、"Ceeddin Deden")をテーマ曲とする当時としては斬新なチョイスでした。和田勉のセンスが光っています。
 
"Ceeddin Deden"
 
Ceddin, deden, neslin, baban
Hep kahraman Türk milleti
Orduların, pekçok zaman
Vermiştiler dünyaya şan.
Orduların, pekçok zaman
Vermiştiler dünyaya şan.
 
祖先も、祖父も、仲間も、父も、
常に勇猛なるトルコよ、
汝の軍隊は幾度となく、
世界にその名を轟かせた
汝の軍隊は幾度となく、
世界にその名を轟かせた
 
Türk milleti, Türk milleti
Aşk ile sev milliyeti
Kahret vatan düşmanını
Çeksin o mel'un zilleti.
Kahret vatan düşmanını
Çeksin o mel'un zilleti.
トルコよ、トルコよ、

愛する国よ、
祖国の敵を打ち負かし、
忌わしき輩に絶望を与えん
祖国の敵を打ち負かし、
忌わしき輩に絶望を与えん