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野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

アンドレ・マルシャルと『パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582』

 以前に、演奏者と作曲家の文化的な違いが音楽に反映することがあるという投稿をしたことがありますが、今回もそんな類のお話です。

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 アンドレ・マルシャル(André Louis Marchal, 1894 – 1980)というフランスのオルガニストをご存知でしょうか。
 ドイツのヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha, 1907 – 1991)と並んで前世紀を代表する偉大なオルガニストなんですが、録音が古い上に状態が良くないこともあってか、残念ながら日本では一部の熱烈なファンを除いて知名度はそんなに高くありません。
 マルシャルは、シュヴァイツァー博士(Albert Schweitzer, 1875 - 1965)が始めた「新オルガン運動(Orgelbewegung)」のフランスにおける創始者でもありました。
 蒸気や電力を用いて強力な送風装置が開発された19世紀には、パイプオルガンは「シンフォニック・オルガン」と呼ばれる大型で大音量のでるものが数多く製作されるようになりました。出せる音色も多彩となり、オルガンは単体でよりシンフォニック(交響的)な楽器となっていきました。音吉が知る限りでは、宮城県白石市ホワイトキューブにある大林徳吾郎製作のオルガンが唯一のシンフォニック・オルガンだと思います(間違っていたらごめんなさい)。
 これを「行き過ぎ」だとして、ジルバーマン(Gottfried Silbermann, 1683 – 1753)やシュニットガー(Arp Schnitge, 1648 - 1719)に代表されるバロック期のオルガンに立ち返ってオルガンの製作をすべきだというのが、シュヴァイツァーやマルシャルが推し進めた新オルガン運動でした。
 こうした復古主義の下で製作されたのが「ネオバロック・オルガン(Neo-Baroque organ)」で、古いオルガンの研究が進んでいなかった初期にあっては歴史的なオルガンの修復に失敗を重ねたものの、現在では高度な修復や複製の製作、古い製作技術を反映させた新たなオルガンの製作が行われています。匠としてはベケラート(Rudolf von Beckerath, 1907 – 1976)やフレントロップ(Dirk Andries Flentrop, 1910 - 2003)などが代表的な存在です。規模の問題だとおもうんですが、日本のパイプオルガンは、ほぼ100パーセントがネオバロック・オルガンだと思います(これも間違っていたらごめんなさい)。
 面白いことに、一時は新オルガン運動が過剰に推進された結果、今度はシンフォニック・オルガンの表現力が逆に見直されることにもなり、今では用途や規模、演奏作品によって、中世やルネサンス時代のものをも含めたオルガンが使われるようになりました。

  さて、アンドレ・マルシャルに話を戻しましょう。彼には生まれつき全盲というハンディキャップがあったのですが、これをものともせずにパリ音楽院で高名なオルガニストで作曲家のウジェーヌ・ジグー(Eugène Gigout, 1844 - 1925)に師事して研鑽を積みました。そして数々の賞を受賞して世界的に有名なオルガニストとなり、ヨーロッパだけではなく、米国やオーストラリアでもコンサート活動を行う売れっ子となります。
 師であるジグーが優れた即興演奏者であったためか、マルシャルは即興演奏についても比類のない才能をハキします。1913年にフォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845 - 1924)がジグーの作曲したフーガを評価した時に、
「とてもいい作品です。ですがそれだけではなく、あなたには優れた即興演奏のできる生徒がいますね」
 と、ジグーの指導者としての能力についても賛辞を送ったのですが、この生徒こそアンドレ・マルシャルでした。
 マルシャルの才能には、当時活躍していたオルガニストや作曲家に深い感銘を与えたようで、数々の名作を遺したオルガニストで作曲家のルイ・ヴィエルヌ(Louis Victor Jules Vierne, 1870 – 1937)も、1923年に自分の作品(オルガン交響曲第4番 作品32)を演奏したマルシャルに対して、
「心から感謝します。愛すべき若者よ、あなたは私に深い喜びを与えてくれました。芸術家としての人生にあって最も深い感銘を与えてくれたあなたの演奏を私は、生涯、忘れません」
 と、深い感謝の意を伝え、以来、ヴィエルヌが1937年に急逝するまで、ヴィエルヌとマルシャルは家族ぐるみの付き合いを続けるほどの友情で結ばれました。
 成功と賞賛のうちに生涯を過ごしたマルシャルでしたが、彼の謙虚で飾らない人柄は、音楽家にも、生徒にも、友人にも、そして聖職者にも深い感銘を与えたそうです。
「父との暮らしはシンプルで自然なものでした」
 と娘のジャクリーヌ(Jacqueline Englert-Marchal, 1922 - 2012)が語っているように、マルシャルは謙虚だけれど気難しくなく、飾りっ気のないシンプルさを愛する思索家であったようです。
 聴いていただくのはJ.S.バッハの『パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582』です。とくにバッハを得意としたオルガニストではないのですが、他の演奏家による同局と比較すると、彼の個性が鮮やかに浮き上がるのでこの曲を選びました。
 まず日本でも知名度が高く、マルシャルと双璧を成すオルガニストであるヴァルヒャの演奏を聴いていただきましょう。ヴァルヒャも10代の頃に失明した盲目のオルガニストです。演奏は丹念で淡々としていて、それでいて人の心に深く切り込むパッションを内包しています。


ではマルシャルを聴いていただきましょう。

 どうでしょうか。好みの分かれる演奏であると思います。テンポ・ルバートどころではない自由なテンポ表現はあまりにもフランス的で、普通の演奏を聴き慣れた方には奇異と感じたり、時代がかったものに思えることがあるかもしれません。
 多くのオルガニストが弾くバッハと違うのは演奏スタイルや技巧だけではありません。
 マルシャルのバッハには、全き神への信頼や愛のもたらす平安といった宗教的な匂いがしないのです。とくにこの演奏では、むしろ宗教的な安らぎを拒絶し、苦悩を直視し対峙しているかのようです。有り体にいえば、マルシャルのバッハは哲学的といえるでしょうか。
 もちろん聴衆への媚びは皆無です。全盲のマルシャルが観ていたのは神ではなく、肉体という檻に閉じ込められ、それでいながら完全なる自由を求めざるを得ない実存の、絶えざる痛みと苦しみだったのではないでしょうか。
 もちろんバッハは敬虔なキリスト教徒でした。マルシャルもそうでした。しかしマルシャルがバッハに見出したのが音吉の印象通りに神でなかったとしたら、それは一体、どうしてなんでしょうか。解のない問いには違いありませんが、少なくともバッハの底知れぬ世界の一端をマルシャルが炙り出してくれたのは確かではないかと思うのです。