音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ブクステフーデ『シャコンヌ ホ短調 BUXWV 160』

 音楽の好みは人それぞれ。親子といえども好きな作曲家や演奏者が一致するのは稀なことです。
 音吉の家族もそうで、バロック音楽に限っていえば、父はJ.S.バッハ、母はパーセル、そして音吉はラモーと、てんでバラバラでした。

f:id:riota_san:20200801180833j:plain

 それでも例外はあるもので、唯一、3人が一致して好きだった作曲家がいます。デンマーク生まれのディートリヒ・ブクステフーデ( Dieterich [Dietrich] Buxtehude, 伝1637 - 1707)です。
 1600年代から1700年代の前半にかけて、バルト海沿岸地域やプロイセンを含む北ドイツで活躍した作曲家とオルガニストは「北ドイツ・オルガン楽派(Norddeutsche Orgelschule)」と呼ばれているんですが、ブクステフーデはその代表格です。
 1517年にルター(Martin Luther, 1483 - 1546)が95ヶ条の論題(95 Thesen)を掲げて始まったキリスト教宗教改革は1600年代にはドイツ語圏の諸都市に波及し、各地のプロテスタント教会にはパイプオルガンが次々に設置されていきました。
「音楽とは神を讃えるに相応しい恩寵である」
 とするルターの立場に沿った在り方だったのですが、当時、音色を様々な音に変えるストップと呼ばれる仕組みが飛躍的に発展したパイプオルガンは、教会建築と典礼音楽への親和性の高さゆえに、神を賛美する絶好のツールだったといえます。もちろん労働に価値を置いたプロテスタンティズムが結果的に経済の繁栄をもたらしたことも、この恐ろしく高価な楽器が普及する一因となりました。

f:id:riota_san:20200801181623j:plain

 ドイツを疲弊させた三十年戦争(Dreißigjähriger Krieg, 1618 - 1648)にあって、北ドイツでは一部の都市を除く諸都市が中立を保ち、致命的な被害を被らずに繁栄を謳歌することになりました。その結果、北ドイツはアルプ・シュニットガー(Arp Schniter, 伝1648 - 1719)のようなバロック・オルガンの名匠を輩出する地となり、オルガン音楽の作曲家や優れた演奏家ハンブルグなどの主要都市を拠点として活動するようになります。
 ちなみにシュニットガーは、生前に105基のオルガンを新造し、他にも60基の改造と修復を行っています。現在も演奏できるオルガンは30基ほどですが、彼一人の仕事をみても、当時、いかに多くのオルガンが製造されたのかがよく分かります。

f:id:riota_san:20200801181840j:plain

先の大戦で焼失する前のリューベックの聖マリア教会

 ブクステフーデの幼少期については分かっていないことが多いのですが、当時はデンマーク領だった都市ヘルシンボリ(Helsinborg, 現在はスウェーデン)の教会オルガニストを務めていたことがから、彼の地が出生の地であると考えられています。
 戦禍の爪痕が残したヘルシンボリの荒廃で将来が見通せなかったブクステフーデは、1668年に北ドイツの都市リューベック(Lübeck)に移り住み、マリア教会(St. Marien zu Lübeck)の専属オルガニストとなります。
 教会オルガニストとしての仕事は日々の日課をこなす程度だったこともあってか、亡くなるまでの40年間にわたって、ブクステフーデはアーベント・ムジーク(Abendmusik, 夕べの音楽)と呼ばれる市主催の市民向け無料コンサートの企画・運営に尽力するようになります。音吉の想像ですが、これが教会音楽の枠を超えた魅力をブクステフーデに与えたのではないかと思っています。
 誠実な人物だったようで、ブクステフーデの逝去に際して当時のリューベック市長ペーター・ヒンリッヒ・テスドルプフ(Peter Hinrich Tesdorpf, 1648 - 1723)は、

「亡きブクステフーデが私に天国のような憧れを予感させてくれた。彼は聖マリア教会におけるアーベントムジークに大いに力を尽くした」(全音楽譜出版社刊『季刊リコーダー』第54号 山下道子「ルネサンスバロックの作曲家たち17 ディートリヒ・ブクステフーデ」より)

 と追悼していますが、彼の音楽は人柄を象徴しているかのように清らかで気負いがありません。バッハのように構築的ではなく、むしろ時の感情を率直に表現するチャーミングでシンプルな曲想が彼の持ち味だと思います。これはコペンハーゲンの宮廷楽士長で歌手でもあったイタリアの音楽に造詣の深かったカスパル・フェルスター(Kaspar Förster, 1616 - 1673)の影響だということですが、音吉もこの説には説得力を感じます。
 「(バッハ+パーセル+ラモー)÷3≒ブクステーフーデ」とは、乱暴ながらも、こと音吉と父母にとっては限りなく正解に近い解だったのかもしれません。

シャコンヌ ホ短調 BUXWV 160』。演奏はフランスの名オルガニストジョルジュ・ジラール(Georges Guillard, 1939 - )です。思索的でありながら、聴く者の感情に直裁に訴えかける力に満ちています。

  

同じ曲を2台のハープシコードで演奏したものです。同じ旋律でありながら、オルガンでは分かりにくいブクステフーデの世俗的な魅力が引き出されています。演奏はアメリカのハープシコード奏者のスキップ・センペ(Skip Sempé, 1958 - )による多重録音と思われます。