音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ドイツ・バッハゾリステンと楽しいバッハ

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 東武東上線成増駅前にモスバーガーの一号店が開店し、横浜からトロリーバスが消えてブルーラインが開業し、世界発の卓上電卓「カシオミニ」が発売された1972年のことです。
 音吉は、中学2年生になるのを機にピアノ・レッスンを「卒業」したんですが、そのお祝いにと講師のSさんからコンサート・チケットをいただきました。ヘルムート・ヴィンシャーマン(Helmut Winschermann, 1920 - )率いるドイツ・バッハゾリステン(Deutsche Bachsolisten [DBS])にソプラノ歌手のエリー・アーメリング(Elly Ameling, 1933 - )を加えた公演で、演目はブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048とヴァイオリン・チェンバロのための協奏曲イ短調BWV1044、そして結婚カンタータ「いまぞ去れ、悲しみの影よ」BWV202(←記憶があやふやで間違っているかも)でした。
 名前から感じた勝手なイメージで、バッハみたいなブ○ド○グ系のいかついオジサンを想像していたんですが、実際のヴィンシャーマンは長身で柔和な感じの素敵な紳士でした。
 楽譜を間違えたのか、足らないページがあったのか、コルネット奏者のおじさんがヴィンシャーマンが登場する寸前にスコアと楽器を抱えて舞台の袖に走り去り、顔を真っ赤にして戻ってくるというアクシデントがありました。ヴィンシャーマンは登場するなり件のコルネット奏者を立たせると一緒に挨拶。会場は大爆笑で、その後も和やかなムードに包まれた楽しいコンサートとなりました。
「バッハのコンサートが和やかで楽しい?」
 そう思う方がいるかもしれません。バッハのファンならまだしも、実のところ高い知名度を誇りながら、バッハほど勘違いされている作曲家もいないのではないでしょうか。

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右側が頭蓋骨から復元されたバッハの肖像です。目を除いて、ほぼ正確なのが分かります。

 息をこらし、眉間に皺を寄せて聴くのがバッハというイメージがあるのは、宗教曲が多いことや、学校の音楽室に飾ってあるバッハの肖像画のせいかもしれません。実際、1894年に発見されたバッハの遺骨から復元した顔は音楽室の肖像画とさほど変わっておらず、これはいよいよもって近寄りがたいイメージですよね。
 バッハに詳しい識者の意見も同様で、日本を代表する音楽学者の磯山雅(1946 - 2018)も著書『J.S.バッハ』(岩波新書)で「洋服を着た勤勉」とバッハを表現しています。しかも並外れて頑固で、金銭に執着することこの上なかったとも。20歳の時には決闘未遂事件を起こすなど、まさに友達にしたくないタイプですね。
 一方で音楽学者で指揮者の樋口隆一(1946 - )は、家族思いでもてなし上手(Gastfreundschaft)であったとも指摘しています。まあ人に2面性があるのは当たり前ですよね。
 音楽でもそうです。バッハは固っ苦しい曲ばかりを作っているわけではありません。いい例が『コーヒー・カンタータ(Schweigt stille, plaudert nicht[お喋りは止めてお静かに], BWV 211)』でしょう。当時、問題になっていたコーヒー依存症を題材にした小喜歌劇です。リュリとモリエールのコンビほどくだけてはいませんが、楽しいことに変わりはなく。
 ハープシコードの作品にも、『半音階的幻想曲とフーガ( Chromatische Fantasie und Fuge)ニ短調 BWV 903』のように、緻密な展開に潜む優雅さが際立つ作品があるわけで、バッハの音楽は一言で片付けられない多面性に満ちているのです。
 今回は楽しく優雅な管弦楽組曲(Ouvertüre)から第4番BWV1069のレジュイサンス(Réjouissance)をアップします。演奏は先に紹介したヴィンシャーマン指揮のドイツ・バッハゾリステンです。 
 ヴィンシャーマンは御年100歳。誕生日の3月22日には盛大な祝賀会が予定されていたんですが、コロナ禍のせいで中止と相成った由。ファンの一人として来年の祝賀会を心待ちにしています。