音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

シャルパンティエの『聖週間のルソン・ド・テネーブル』

 前回に続き、音吉の父の愛蔵盤で、よく聴かせてもらったレコードの中から、マルカントワーヌ・シャルパンティエMarc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)の『聖週間のルソン・ド・テネーブル』を取り上げたいと思います。

 シャルパンティエの曲で一般に知られているのはEBU(欧州放送連合)のテーマに採用された『テ・デウム(Te Deum)』だと思います。青年時代にローマに留学していたせいなんでしょうか、ティンパニーとトランペットが耳に残る華やかな曲で、まるで同時代のリュリみたいすよね。リュリと仲違いした後のモリエールと一緒に仕事をしたりもしていますから、実際にリュリとは何らかの関係はあったのかもしれません。とはいえシャルパンティエの生涯は謎が多く、彼にまつわるお話は推測の域をでないものがほとんどなんです。はっきりしているのは1698年から帰天するまでの6年間をパリのサント・シャペルの楽長として過ごしたことぐらいでしょうか。

 音吉の父がこよなく愛した『聖週間のルソン・ド・テネーブル』は、バロック的な華やかさとはまるで無縁の作品です。

 聖週間とは、復活祭(イースター)の前にイエスの受難を偲ぶ一週間で、その週の木・金・土曜日のことを「聖木曜日」「聖金曜日」「聖土曜日」と呼んでいます。

 またルソン・ド・テネーブルとは、そのものズバリで「暗闇のお務め」の意味。なんだか怪しげな感じがしますね。深夜に行われる聖木・金・土曜日の典礼時に、灯された13本のロウソクを一本ずつ消していき、最終的にお御堂が真っ暗になることからその名がついているんです。

 先に挙げた『テ・デウム』と同じ作曲家なのかと頭上に「?」が3つは並ぶほど、『聖週間のルソン・ド・テネーブル』は曲想が違います。華美とは無縁の、素朴で静かな、それでいて洗練された音楽なんです。音吉的には、むしろ『テ・デウム』のほうが「らしくない」印象がありますが。

 音吉少年は、イエスの受難といえばバッハの『マタイ受難曲』が思い浮かんで、

「イエス様が大変なことになってる曲なのに、なんでこんなに静かなんだろう?」

 と不思議に思いながらも、あまりに美しいメロディに思考が停止し、ロウソクの灯りがゆらめくような音の世界に没入するのでした。

 残念ながらエラート盤であったこと以外に少年時代に聴いた演奏が誰のものであったのかを覚えていないので、今回は音吉がお気に入りのジェラーヌ・レーヌとイル・セミナリオ・ムジカーレの演奏をアップします。

 ジェラーヌ・レーヌ(Gérard Lesne, 1956 - )はフランスのカウンター・テナー歌手で、元はロック・シンガーだったという超異色の経歴を持っています。古楽界の大御所、レネー・クレメンチッチ(René Clemencic, 1928 - [ルネ・クレマンシクと仏語の表記をされることもあります])に才能を見いだされ、ソルボンヌ大学で学びながら同氏に師事。後に古楽アンサンブル、イル・セミナリオ・ムジカーレを創設して精力的に活動して政府から芸術文化勲章を授与されるなど、現在では欧州の古楽界をリードする存在となっています。

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