音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

NHK大河ドラマ『新平家物語』テーマ曲と桜井英顕

 洋楽とクラシック音楽にズブズブの日々を送っていた少年時代の音吉に、新たな世界の扉を開いてくれた音楽があります。

 自分が依って立つ日本の歴史と文化とは一体、どんなものなのか。もちろん小学生が意識することではありませんでしたし、キリスト教徒の家庭に育ち、放課後は直帰して洋楽ポップスを聴きながら海外の児童文学書を読み漁っていた音吉にとって、日本という国は「外国」でした。神社は戦争に人々を駆り立てた戦犯的な存在でしかありませんでしたし、民謡とは畳とお酒の臭いが入り混じる宴会場の音楽でした。

 音吉の家庭は妙なことに厳しくて、普段はテレビをなかなか観せてもらえませんでした。今でいえば、子供がスマホ漬けにならないように気を付けるのと同じ感覚だったのでしょうか。それでも唯一、NHK大河ドラマだけは例外で、これなら何のお咎めもなく観ることができました。

 音吉が小学6年の正月にスタートした『新平家物語』は、1963年の『花の生涯』から10作目となる節目の作品で「NHKの力作」という前評判も高く、居間に家族全員が集まって第一回目を観ることとなりました。夕食を早めに済ませ、飲み物やお菓子を準備し、テレビの前にしゃちほこばって座り、番組が始まるのを待つという、いま思えば大袈裟すぎて恥ずかしくなるような光景でしたが。

 番組が始まり、テーマ音楽がテレビから流れた瞬間、音吉は体の芯を何かが貫くような感覚に襲われ、お茶の間にいることも忘れるほど音楽に引き込まれてしまいました。

 オーケストラをバックに、おそらくは琴と思しき和楽器が激しいパッセージを奏でる導入部に、のっけから圧倒されたんです。そして否応なしに人を呑み込む歴史のうねりのようなオケのハーモニー。オケの音に浮きつ沈みつしながら絡む琴の音。さらには天上の世界から漏れ伝わるかのようなコーラスが流れ、太くくぐもった琴が渋い雅を薫らせながら曲を締め括ります。

 初めて耳にした楽器の音、それも魂を揺さぶられるような旋律に心の準備もなく出くわしたせいでしょうか。慌てて中座し自室に駆け込むと、涙が込み上げてきました。音楽でそんなにも激しく感動したのは、あれが最初で最後だったと思います。

 作曲は冨田勲。オケはN響。そして琴は桜井英顕(さくらいひであきら)。先に「琴と思しき」と思わせぶりに書いたのには訳があります。琴の音には違いないんですが、いわゆる琴とは思えない音色なんです。少なくともお正月に街角で流れる琴とはまるで違います。しばらくは和琴じゃないかと思っていたんですが、そうではないことを知ったのは、つい最近のことです。

 音の秘密は、桜井英顕(生没年不明)さんという箏曲家にあったんです。箏曲家というとすぐに思い浮かぶのが宮城道雄さんですが、桜井さんは何ともユニークで前衛的な箏曲家であったようです。ジャズやロックを演奏する「桜井英顕クインテット」や前衛邦楽バンド(定義不明)「須磨の嵐」、エレキ琴の「SAKURAI HIDEAKIRA BAND」などの実験的な試みを60年代の後半から70年代にかけて精力的に行っていて、当時大ヒットした『子連れ狼』の劇中曲にも参加していました。

 桜井さんはご自身も破天荒な性格だったようで、『新平家物語』の録音の時は、高下駄の音を響かせながらN響の待つスタジオに遅刻して現れたとのこと。しかもその場に担いできたのは特注のプラスチック製琴で、演奏には真鍮の火箸のようなものをピックとして用いていたそうです。琴でありながら琴ではないような音の正体はこれだったのです。

 それほどの変人だったわけですが、彼の並外れた才能は冨田勲さんも高く評価していたようで、琴の柱(じ)が外れ、柱の転がる音が入ってしまったためにNGとなったテイクを聴いた冨田さんが演奏のクオリティに気付き、

ストラヴィンスキーペトルーシュカだって、演奏中に誤って落としたタンバリンの音が気に入って彼は譜面に加えたんだ。これ以上はない演奏だったら僕がこの音を譜面にすればいいだけのことだよ」

 と言ってOKとした、というエピソードが残っています。真に才能のある人は他者の才能にも気付き、認めることができるということなんでしょうか。

 桜井さんは私生活でも相当に不摂生をされていて、若くして鬼籍に入られたということですが、それが『新平家物語』の録音の何年後であったかはネットで調べても分かりませんでした。

 桜井さんは、どこか現世にいながら現世ではない何処かで音を爪弾いでいた方だったのだと思います。彼は短くも強い光跡のような一曲を遺して闇に消えていきました。そして音吉はこの曲で少年時代に幕を引き、新たな音の世界に誘われることになったのでした。

 

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