音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

メリー・ホプキンの『悲しき天使』

 少年時代の音吉が聴いていたのは、もちろんクラシックだけではありません。生まれつき好奇心が強かったので、入れ食いの本領は覚えていない頃から発揮していたようです。もっとも天邪鬼が災いして、日本のフォークソングや歌謡曲は食わず嫌いでほとんど聴いていませんでしたが。

 クラシックは父がお師匠でしたが、洋楽のポップスについては従兄弟たちが情報源で、持っていたレコードをガンガン聴かせてくれました。まだ小学校にあがる前からビートルズモンキーズウィルソン・ピケットやジャクソン5、ジョーン・バエズジャニス・ジョプリンなどなど、挙げたらキリがないほどたくさんの洋楽が聴き放題の環境がありました。

 今回取り上げるのは、メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950 - )の『悲しき天使(Those were the days)』です。1968年のヒット曲なんですが、このシングル盤は、音吉が生まれて初めて大人を頼らず自力で買った記念すべきレコードとなりました。

 小学4年生でしたから今の子どもたちには笑われるお話なんですが、当時は万博手前の日本。子どもといったらホントに子どもで、土管の積まれた空き地で青っ洟を垂らしながら草野球に興じていた子が、駄菓子屋さんではなく大人しか出入りしない(ような気でいた)レコード店で、しかもフツーなら大人が聴くレコードを買うという行為は結構な勇気の要るチャレンジだったんです。

 実はもうひとつ、他にも欲しいレコード(1910フルーツガム・カンパニーの『サイモンセッズ』)があって、どちらにしようか決めかねていたっていうプレッシャーもあったんです。でも丈の短いスカート姿でブロンドヘアーの女の子が芝生に座ってギターを弾いているジャケを見た途端に迷いは吹っ飛びましたが。当時、彼女は18歳でしたから鼻垂れ小僧の恋の対象にはなるはずもありませんでしたが、憧れのお姉さまにはなり得たんです。

 このレコード、個人的なエピソードとは別に、もうひとつ大きな特徴がありました。形状はタダのドーナツ盤だったんですが、赤盤(アルベルト・シュバイツァーの記事を参照)で、しかもラベルが黒字に青いリンゴだったんです。そうです、ビートルズのアップル・レーベルですよね。

 なぜメリーのレコードがアップルから出たのかについては、面白い経緯があります。

 メリーは、テレビのオーディション番組に出演したのがきっかけで歌手になったのですが、これを観ていたのが「ミニスカート女王」と呼ばれて日本でも有名になったモデルのツイッギーでした。ツイッギーはメリーの才能を見抜いて友人のポール・マッカートニーに紹介。メリーの歌に惚れ込んだポールは自身でプロデュースを担当し、アップル・レーベルの第一号として『悲しき天使』を世に送ることになります。そしてポールの目論見通りにこの曲はヒットし、たちまちイギリスのシングルチャート第一位に輝いたのでした。

 その後もヒット曲に恵まれたメリーでしたが、1971年に結婚して引退し、今ではすっかり忘れられてしまいました。それでもこうして改めて聴いてみると、ブリティッシュ・フォークならではの深い味わいをたたえたメリーの歌声は、半世紀を経た今でも色褪せてはいませんね。

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