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野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

イスラエルとアラビア語圏で愛された歌姫オフラ・ハザ

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 イスラエルで生まれ、イスラエルで生涯を終えながらも、自身のルーツに根ざしたイエメンの歌を歌い、「イスラエルのマドンナ」と称えられた歌手がいます。
 オフラ・ハザ(Ofra Haza, 1957 - 2000)は、テルアビブで暮らすイエメン難民の貧しい家庭で生を受けました。
 9人兄姉の末っ子だったオフラは、イエメンでプロの歌手として活躍していた母(Shoshana Haza, 1920 - 2000)にイエメンの歌と歌唱法を学び、12歳で地元の劇団「ハティクバ(Shechunat HaTikva)」に入団。劇団マネージャーのベザレル・アロニ(Bezalel Aloni, 1940 - )に才能を認められて、18歳の時に歌手デビューを果たします。
 その後、兵役義務で2年間のブランクがあったものの、除隊後の1980年にファースト・アルバム『Al Ahavot Shelanu (About Our Loves)』をリリース。アルバムに収録された"Hageshem (The Rain)" や "Shir Ahava La'chayal (Love Song For The Soldier)" が大ヒットし、イスラエルのラジオ局が決める最優秀女性シンガーに選ばれました。
 イスラエル国内での人気を不動のものにしたオフラは1984年、アルバム『イエメンの歌(Yemenite Songs)』を発表し、イエメンのユダヤ人の間で伝承されてきた歌をヘブライ語アラビア語で歌いあげたのですが、この試みが後に彼女を国際的な舞台に押し上げることになります。

 1988年、『イエメンの歌』をブラッシュアップしたともいえるアルバム『Shaday』は年間ベスト・インターナショナル・アルバムを受賞し、収録中の "Im Nin'alu"(先の『イエメンの歌』に収録されたもののリメイク) はシングルカットされ、欧米のシングルチャートを席巻。アラビア語圏でもオフラの人気は一気に高まりました。

 またオフラの音楽は欧米のミュージシャンにも深い影響を与えることになり、1992年のアルバム『Kirya』にはイギー・ポップIggy Pop[本名]James Newell Osterberg Jr., 1947 - )やルー・リードLou Reed[本名]Lewis Allen Reed, 1942 - 2013)も参加しています。ちなみに『Shaday』は同年のグラミー賞にもノミネートされています。
 1997年、オフラは実業家のドロン・アシュケナージ(Doron Ashkenazi)と結婚しましたが、3年後の2000年2月23日に死去。42年の生涯でした。死因がエイズによる合併症という衝撃的なものだったため、なぜエイズを罹患したのか、そもそも死因を公表する必要があったのか等々、しばらくの間イスラエルでは、様々な憶測や著名人のプライバシーについての議論が続き、死してなお歌姫は人々の心を揺さぶり続けたのでした。また夫のドロンも翌2001年に薬物の過剰摂取により他界。オフラの死を巡るゴシップがドロンを追い詰めたのだとも言われています。

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 当時イスラエルの首相だったエフード・バラック(Ehud Barak, 1942 - )は、オフラの人生をイスラエルのサクセス・ストーリーとして称え、
「貧民街から身を起こしてイスラエルの文化の頂点に立った彼女は、イスラエルの民に偉大な足跡をのこしてくれた」
 と哀悼の意を表しました。
 先だってイスラエルアラブ首長国連邦UAE)の国交正常化が世間を驚かせたばかりですが、おそらくこれは、米国にバイデン政権が誕生し、再びイランとの核合意が復活した場合に備えての打算的な動きに過ぎないでしょう。歴史的、感情的にイスラエルとアラブ語圏が底なしの深淵で隔たれていることに変わりはないのです。
 ですが、オフラ・ハザという一人の歌手が、一時とはいえ、交わり得ないふたつの文化圏の民から愛されたことは、十字軍の時代に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世(Friedrich II, 1194 - 1250)とアイユーブ朝の第5代スルターンのアル=カーミル(al-Malik al-Kāmil, 1180 - 1238)の間で成立したエルサレムの「10年の平和」に匹敵する奇跡だったのではないかと音吉は思うのです。
 融合することなど夢のまた夢。しかし接点は必ずあり、共有し得るものがあることを、オフラ・ハザは彼女の生涯と歌を通じ、身をもって示したのでした。先のフリードリヒ2世の遺骸が纏うイスラム風の衣装に縫い付けられた言葉(おそらくはフリードリヒからアル=カーミルへの賛辞)は、オフラへの賛辞に相応しいものといえるでしょう。
「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」