2015年に公開された映画『ブルーに生まれついて BORN TO BE BLUE』をご覧になった方はいますか? ウェストコースト・ジャズを代表するトランペッターでヴォーカリストのチェット・ベイカー(Chet Baker, 本名:Chesney Henry Baker Jr., 1929 - 1988)の生涯を描いた映画です。
チェット・ベイカーとジャズの出会いは1947年の夏、17歳のときのことでした。軍隊に入隊し、ベルリンに赴任した折に、軍の放送(Armed Forces Radio Service [AFRS])で当時流行っていたビバップ(bebop)を聴いたチェットは即、「感電」してしまいます。
ビバップとは、ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 本名:Benjamin David Goodman, 1909 - 1986)に代表されるスウィング・ジャズ(Swing Jazz)が終わりを告げる1940年代に勃興したジャズの一形態です。音楽理論としても大変に面白いものなんですが、専門的なお話なのでここでは触れません。演奏スタイルは、まず予め決めておいたテーマを皆で演奏した後に、順番に各パートが即興で演奏していき、再び皆でコーダ(曲の終結部)を演奏して終わります。
「いまのジャズだってそうじゃん!」
と思った人、正解です。ビバップはモダン・ジャズの元祖なんです。
ビバップは「踊るジャズ」としてのスウィング・ジャズから「聴くジャズ」への抜本的な変化を遂げた反面、ともすれば即興演奏に重きを置きすぎて原曲を破壊してしまったり、同じメンバーでもライブ毎に出来不出来が大きくなってしまったりという不安定さが付きまといました。いちばんマズかったのは、1950年代に入った頃にはアイデアが枯渇し、即興演奏のはずなのに誰が演奏しても似たり寄ったりという袋小路に入り込んでしまったことでした。モダン・ジャズ(問題はあるんですが、ここではフリー・ジャズも含めることにします)は、こうした問題から脱却する試みから生まれたものだといえるでしょう。
スイング・ジャズの巨匠ベニー・グッドマンの演奏です。
曲名も『ビバップ』。演奏はチャーリー・パーカーです。
エリック・ドルフィーのフリー・ジャズ。1963年の演奏です。
チェット・ベイカーは、入り口こそビバップでしたが、1949年に発売されたジャズ・トランペッターの巨匠マイルス・デイヴィス(Miles Dewey Davis III, 1926 - 1991)のアルバム『クールの誕生(Birth of The Cool)』を聴いて深く共鳴し、これがジャズ・トランペッターとしてのその後の生涯を決めることになります。
14歳の時にトランペットを始め、軍隊時代にも楽隊で管楽器を担当していていたチェットは、除隊後の1951年から西海岸(ウエスト・コースト)のジャズ・クラブでプロとしての演奏活動を開始。マイルス・デイヴィスに影響を受けた叙情的なトランペットは、共演したアルト・サックス奏者のチャーリー・パーカー(Charlie Parker Jr. , 1920 - 1955)やテナー・サックス奏者のスタン・ゲッツ(Stan Getz, 1927日 - 1991)などから高い評価を得、1954年にリリースしたアルバム『チェット・ベイカー・シングス(Chet Baker Sings)』で人気は絶頂に達しました。一時期はマイルス・デイヴィスをしのぐ人気を誇っていたほどです。
歌・トランペットともに若き日のチェット・ベイカーです。
一方でチェットはドラッグと飲酒に沈溺する悪癖を抱えていて、これが彼の人生に破滅的な影響を及ぼすことになります。
1950年代後半になると、チェットは麻薬使用によって当局に目をつけられ、1959年には遂に逮捕されてニューヨークのライカーズ・アイランド刑務所に放り込まれてしまいました。出所後もヘロインをやめることができず、方々で麻薬絡みのトラブルをおこして、1966年には喧嘩で前歯を折られてトランペットを吹くこともできない身と成り果てます。生活保護を受けたり、ガソリンスタンドで働たりという日々を過ごすうちに、チェットは世間から忽ち忘れ去られてしまいました。
しかし1973年に、チェットの才能を惜しむトランペッターでバンド・リーダーのディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie, 本名:John Birks Gillespie, 1917 - 1993)の尽力で復活。1975年頃から欧州に活動拠点を移して活躍し、再び日の目を見ることになりました。1986年と翌87年には来日公演もしています。チェットのドキュメンタリー映画『Let's Get Lost』がファッション・カメラマンのブルース・ウェーバーにによって撮影されたのもこの頃のことです。
1988年5月13日、チェットはアムステルダムのホテルの窓から転落して亡くなりました。享年58歳。転落の原因は未だに判明していません。
痛々しい人生でしたが、チェットの遺した音楽は、今なお彼と同じように苦しみ悲しむ人に寄り添い、共感する存在であり続けてくれています。