音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ハービー・ハンコックで聴くクロスオーバー、フュージョン、そして今

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 音吉が10代の頃(1970年代)は、洋楽ポップスの世界、特にジャズの世界が大きく変わろうとしていた時代でした。今回は、この変化をジャズ・ピアニストで作曲家、そしてプロデューサーでもあるハービー・ハンコックHerbie Hancock, 1940 - )の音楽を通じて楽しんでみたいと思います。
 ロックは若者の反乱ともいうべきカウンターカルチャーに根ざした変化だったのに対して、ジャズは楽器の電子化という文明的なファクターに後押しされての変化であったと思います。
 1960年代には、エレクトリック・ギターやハモンド・オルガンなどは既に市民権を得た楽器でしたが、1970年前後から頭角を現してきたシンセサイザーが、それまで基本はアコースティック・サウンドであったポップスに大きな変化をもたらしたのです。
 1960年にプロ・デビューし、1963年から1968年までをマイルス・デイヴィスクインテットのメンバーとして活躍したハービーが1965年にリリースしたアルバム『処女航海(Maiden Voyage)』を聴いてみると、当時のハービーがモダン・ジャズの王道をいっていたことが分かります。

 これが6年後にどうなるかというと、1971年の『エムワンディシ(Mwandishi)』にはこんな変化が起きています。

 どうでしょうか。マイルス・デイヴィスの焼き直しじゃないかと思うぐらいマイルスの影響が色濃いですが、注目すべきは電子楽器の多用です。いかに大きな変化が60年代後半から70年代前半にかけて起きていたかが如実に分かります。
 面白いのはこれからです。変化は楽器だけに留まらなかったのです。『エムワンディシ』の2年後、1973年リリースの『ヘッドハンターズ(Head Hunters)』から "Chameleon" を聴いてみましょう。

 

「ああ、これね」
 と思った方も多いと思います。『エムワンディシ』は、楽器はともかく(一部のうるさがたは別として)普通にモダン・ジャズとして通るものだと思いますが、『ヘッドハンターズ』はファンキーなポップスというほかはありません。停滞していたモダン・ジャズの状況を打破するために電子楽器を積極的に取り入れ、ロックやラテンなどの曲想や奏法を取り入れたことによって起きた変化なんですが、このムーブメントを「クロスオーバー(Crossover music)」と呼んでいます。
 クロスオーバーはジャズに留まらず、ロックやクラシックなども巻き込んで、70年代の後半には様々なジャンルを融合した新たな音楽として「フュージョン(Fusion)」という新たなジャンルが登場します。再びハービーの音楽で1978年の『サンライト(Sunlight)』から "I Thought It Was You" を聴いてください。

 奇妙なヴォーカルが聞こえますが、これは言葉や効果音をマイクで入力しながら鍵盤を弾くと音階がつき、コーラスにもなる「ヴォコーダーVocoder)」という電子楽器を用いたものです。故ホーキング博士の用いていた人工音声と同じく、いかにも人工的な音であることを殊更に強調したような音色ですが、当時はこれが斬新で近未来的な味付けとして喜ばれていました。
 勘のいい方ならもうお分かりだと思いますが、クロスオーバーやフュージョンは、ジャズ・ミュージシャンにとってはあくまで新たなジャズを模索するための実験であって、目標ではありませんでした。一般受けするフュージョンと同時に、本丸のジャズを模索し続けていたんです。1977年リリースのハービー・ハンコック・トリオによる『The Acoustic Collection』から "Watch It" をどうぞ。

 1980年代に入ってフュージョンは、演奏する側も聴く側も飽きてしまったのか、あっという間に下火になりますが、このムーブメントに関わったミュージシャンのその後には大きな影響が見られます。マイルス・デイヴィスチック・コリアなどのジャズ・フュージョンの立役者はもちろんのこと、ビル・ブルーフォードやアラン・ホールズワースのような主にプログレッシブ・ロック畑のミュージシャンなどは、様々なジャンルがクロスオーバーした中で暗中模索したからこその音楽を世に送っています。
 最後にハービーによる、ジョン・レノンの『イマジン』へのオマージュをお聴きください。何事にもこだわりは必要だが、本当に大切なものはジャンルも人種も時代も超えて存在するのだということを、ハービー・ハンコックは音楽で伝えようとしている。音吉にはそう思えてなりません。


「私自身は決してそういう人間にならないようにと願っています。自分は何でも知っていると信じ、ほかの人たちの言うことに耳を貸すことを忘れてしまった人、年長者だというだけの理由で年下の人たちよりも何でも知っていると思い込んでいる人、私は絶対にそういう人間にはなりたくありません。そこには非常に大きな誤りがあるんです。実際、私も教えるという機会に恵まれたときに経験したことですが、先生と呼ばれる人たちの多くが、教える生徒たちよりも、むしろ教える自分のほうが生徒たちから学ぶことのほうが多いと証言していました。これはとても良いことだと思います。」

日本外国特派員協会におけるハービー・ハンコックの発言より(2003年2月20日
出典:日本語版Wikipedia[オリジナルの出典不明]