音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

バンド『プラスチックス』の軌跡

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 ふと思い出して、高校時代に買ってホコリを被っていた楽器を引っ張り出していじってみた。SNSでそれを呟いたら、
「あー、自分もやったことあるわ」
 という友達のコメがちらほらと。気まぐれに、
「一緒に楽器で遊んでみね?」
 と声をかけたら、たちまちギターにベース、キーボード、ドラムと、形だけはバンドのメンバーが揃った。
「スタジオ借りよう!」
 と提案したものの、皆からあっさり却下。
「なに血迷ってんの。オレら、ほとんどスキルないし。ついでに金もないし」
 ド正論。身の程を知り、ドラマーの家に集まることにした。
 こうして楽器とメンバーを集めてみたものの、レッド・ツェッペリンエアロスミスのナンバーに挑戦し忽ち玉砕。楽器の音が出せることと弾けることは根本的に違うことを痛感。4ビートでCメジャーの曲しかできないんだったわ、オレら。
 そこで何となくコード進行とリズムだけを決めてギグって遊んでみる。すると笑えるほどへにゃへにゃしたサウンドながら、それなりの曲になることが判明。コピーライターで食ってるメンバーの作詞が鋭く、光っていたので、なぜか歌だけは完成度高し。第一、楽しい。
 せっかく作った曲なら誰かに聴いてもらいたいと無謀にもYouTubeに投稿したら、これが大当たり。反響に目を留めたインディーズの音楽事務所からお誘いがかかり、
「どーせすぐ飽きられると思うんで、副業ならお受けします」
 とダメ元で言ってみたら快諾されてしまった。とゆーわけで、オレらはミュージシャンになったのさ。めでたしめでたし。どんとはれ

 まあ、これは作り話なんですが、音楽とは無縁だったメンバーで集まり、檜舞台に立った伝説的なバンドが本当にあったんです。
 1970年代の末に、気がついたら存在していて、
「こいつら何者?」
 と思った頃には消えていた感じでしょうか。

 「プラスチックス」といって、ヒカシューP-MODELと並んでテクノ御三家のひとつに数えられていたバンドです。
 スタイリストだった佐藤チカ(誕生年不明)とイラストレータ中西俊夫(1956 - 2017)、グラフィック・デザイナーの立花ハジメ(1951 - )がコアとなって結成され、後に四人囃子でベースを弾いていた佐久間正英(1952 - 2014)と作詞家の島武実(1946 - 2019)が加わって今、知られるようなメンバー構成になったプラスチックスですが、2年あまりの短い活動期間中に、日本のみならず、海外のアーティストからも注目を集めた凄いバンドでした。
 表面的な音の感じからテクノ・ポップに分類されていますが、音吉はフツーのポップスなんじゃないかと思っています。試行錯誤の音作りの過程で、ドラムではなくリズムボックス(様々な音色で複雑なリズムを刻める電子楽器)を用いた結果、テクノっぽく聞こえただけのことで。
 プラスチックスは、B-52'sやトーキング・ヘッズなどと共演し、三度のワールドツアーを行うなどの華々しい活動を成し遂げながら、日本では東京というローカル以外では見向きもされずに1981年には解散してしまったんですが、その事実こそがプラスチックスの本質を物語っていたのだと今になって思います。
 冒頭の作り話のようにメンバーが幼馴染みだったわけでもなければ、何となくバンド活動を始めたわけでもありません。しかし佐久間以外のメンバーが音楽について専門外だったことは同じでしたし、歌詞に強いインパクトがあったことも一緒でした。

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 門外漢が生み出したものへの、当時の一般的な業界人とリスナーの評価。これこそがプラスチックスの妙ちくりんな活動履歴に影を落としていたものだと音吉は思います。
 ラーメン道だ、接客道だと、なんでも「道」にしてしまい、その道を極めなければ他人様に認められるようなプロにはなれない。昭和の日本は、そんな「当たり前」が世間一般を支配していた時代だったと思います。専門外の人間がこしらえたものは、それがどんなに価値あるものであっても「伊達や酔狂」の域を出ない、と。

f:id:riota_san:20200824191919j:plain  プラスチックスに価値を見出したのが海外のアーティストやリスナー、そして東京で活躍するアーティストや業界関係者だったのは、日本社会の「当たり前」から自由だったということに尽きると思います。その意味では、プロ意識が逆に希薄になってしまった現代の日本にプラスチックスが登場しても、逆に見向きもされなかったかもしれませんね。時宜云々でいえば、昭和なら早過ぎ、現代なら遅過ぎたバンドだったんでしょう。
 ひとつ確実に言えるのは、世の中には短くも輝きを放つ才能があっていいということです。百億年をかけて輝き続ける恒星も、一瞬で命を終える流星も、宇宙にあっては等価であり、本質は何ら変わることがありません。
 自然現象とは本来、繋がりのない人の感情にあっても同じことがいえます。超新星爆発の疑いがあったオリオン座のベテルギウスも、一筋の光条を放って首都圏を騒がせた火球も、人の心に宇宙の神秘を感じさせる点では等価です。同様に、数百年にわたって愛され続けるクラシックの名曲も、ある世代だけが知る流行歌も、人の心に共感をもたらす点では価値に軽重などないのです。
 昨年で結成後40年目となったプラスチックス。メンバーの大半は早々と鬼籍に入り、彼らの活躍は既に過去のものとなっています。リバイバル・ヒットをしたわけでもなければ、若者たちのレジェンドに祭り上げられたこともありません。
 それでも音吉は思うんです。彼らは未だに尖っていてカッコいい。そして日本のアーティストにあって「オリジナリティ」を確立できた数少ないアーティストであったと。