音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

ヴィルヘルム・バックハウス

 音吉少年は、どうしてかドイツ語圏の作曲家とは相性が悪かったようで、とくにベートーベンにはほとんど関心がありませんでした。というか好きじゃなかった。何なんだろうなぁ、心が共振しないんです。あ、『ロマンス第2番ヘ長調作品50』は好きでしたが。

 もちろん例外もあって、シューマンブラームスは大好きでした。シューマンは大好き一番手だったショパンに引っ張られて聴いていたような気がするんですが、ブラームスはしがらみなし(クララ・シューマンに片思いしていたのを知ったのは中学生になってからでした)で好きでした。

 そのきっかけになったのが『ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15』で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884 - 1969)、オケはカール・ベーム指揮のウィーン・フィルというゴージャスなものでした。

 同曲は、他にも1932年に録音されたエイドリアン・ボールド指揮BBC交響楽団とのものがありますが、ベームウィーン・フィル盤は1953年の録音です。若い頃と晩年の演奏になるわけですが、個人的には後者のほうが好きです。若い頃の演奏は当然のように伸び伸びとして煌めいているんですが、バックハウスを高く評価していた吉田秀和さん曰く、テンポ・ルバート(一定のフレーズでテンポを自在に変化させる手法)を安易に用いないことがバックハウスの格調高い音楽を生み出すいうのであれば、ことこの曲に関する限りは晩年の演奏のほうが当てはまるような気がします。

 譜面通りに弾いているだけ、なんてにべもない批評もあるようですが、バックハウスは(実はあんまり好きな方ではないんですが)吉田秀和さんの仰るとおり、困ったことに格調高い音楽を紡ぎ出すんです。批判通りなら、アプリの自動演奏が最も素晴らしいアーティストになっちゃう。

 テンポ・ルバートは、フランスの音楽やはショパンなどの作品では気品や情感の表出に欠くことのできない手法なんですが、これが下手にドイツ系の音楽に用いられると、その辺にいるオジサンが化粧をしたみたいな物凄いことになっちゃうんです。

 とくにブラームスの音楽は、どちらかといえば父性的で、過剰な装飾や感情表現は排し、繊細さを失わない程度に質実剛健であったほうが「らしく」なるといえるでしょう。その点、淡々としたバックハウスの演奏は実にブラームスと相性がいいように思えます。そうですね、バックハウスブラームスを酒に例えれば良質で辛口のテーブル・ワイン、日本酒なら地酒で辛口の普通酒といったところでしょうか。

 バックハウスはドイツのライプツィヒに生まれ、16歳でプロデビューを果たした神童でしたが、後にヒトラーに気に入られてナチスの宣伝に利用され、それゆえ戦後は戦犯扱いを受けるなど、その生涯は決して安穏なものではありませんでした。戦後10年余りを経て名誉が回復されてからは様々な栄誉を受け、名門校から後進の指導を請われることも一度や二度ではありませんでしたが申し出を受けることはほとんどなく、最後まで演奏家としての道を歩み続けました。

 余談ですが、1901年11月に留学中の夏目漱石がロンドンのロイヤル・アルバートホールでバックハウスの生演奏を聴いた可能性があるんです。寺田寅彦に宛てた手紙に、

「明日の晩は当地で有名なPattyと云ふ女の歌を「アルバートホール」へきゝに行く積り小生に音楽抔はちとも分らんが話の種故此高名なうたひ手の妙音一寸拝聴し様と思ふ」(杉田英明『ヴィルヘルム・バックハウスと日本人 ― 夏目漱石から池田理代子まで ―』(p.4)

 という行があるんですが、この演奏会、(おそらくは)アデリーナ・パッティ(Adelina Patti, 1843 - 1919)を始めとする当時の売れっ子たちによる合同リサイタルで、若きバックハウスも名を連ねていたんです。「だから何?」と言われればそこまでですが、なんかワクワクしませんか?

 最後にもうひとつ。このピアノ協奏曲、今でこそブラームスを代表する名曲とされていますが、1859年にブラームス自身のピアノで初演が行われたときには、「退屈」ということで演奏中に野次が飛び交うという惨たんたるものでした。

 

第3楽章のみ。YouTubeでは全部アップされています。

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