音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

安西腰鼓(安塞老腰太鼓)


 いつのことだったか、どんな番組だったかもロクに覚えていないのですが、NHKのドキュメンタリーか歴史番組だったと思います。オープニング・シーンに総毛立ったんです。中国内陸部の礫漠と思しき荒れ地に、腰に結わえ付けた太鼓を両手に持ったバチで叩きなら乱舞する大集団が忽然と現れる様は圧巻というほかはありませんでした。
 番組をみて随分経っていたか、もうすでにネットが使えたかも定かじゃないんですが、最初に調べたときはまったく引っかかりませんでした。今のように情報量が潤沢ではなかったんだと思います。それが何であるのかを音吉が知ったのも、たかだか数年前のことです。
 安西腰鼓(あるいは安塞老腰太鼓)。それが謎の正体でした。
 中国のほぼ中央に位置し、西安(かつての長安)を省都とする陝西省には、北側に内蒙古自治区と接する荒涼とした地域があるんですが、そこに延安市という200万都市があります。延安市の内蒙古自治区側は安西(安塞)区と呼ばれているんですが、おそらくは秦の時代からこの地で受け継がれてきたのが安西腰鼓なんです。
 安西腰鼓は、安西区と周辺の歴史的・地理的な環境に起源を辿ることができます。

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 安西区は、黄河の支流である延河が黄土高原に刻んだ広大な渓谷を擁する地であり、夷狄から中国本土の北側を守る軍事上の要衝で、歴代の為政者は安西区の方々に兵を駐屯させました。
 兵士たちは剣や弓などの装備の他に、不意の攻撃を仲間に伝えるツールとして太鼓を持ち歩いていました。敵に遭遇した時には太鼓を叩いて敵の存在を知らせ、共闘して戦い、勝利すれば太鼓を叩いてお互いを祝福し合ったわけで、これが安西腰鼓の起源となったというわけです。
 やがて太鼓は軍事的な目的から、人々が神に祈り、豊作を願い、春節を祝うためのものになり、踊りとともに現在のような姿になりました。
 今や腰鼓は安西地区にとどまらず中国全土に広まっていて、2006年には中国の無形文化遺産(遺産番号Ⅲ-13)に登録されています。独特の激しい踊りとドラミングのゆえにもっぱら男性のものとされてきた腰鼓ですが、現在では女性の鼓手も増え、日本でいえばYOSAKOIソーランのように親しまれているようです。
 腰鼓には、戸外を練り歩きながら太鼓を叩き踊るものと、会場で演じるものがありますが、地を蹴り、跳躍し、スピンするという基本は同じです。衣装は様々ですが、バチにつけた赤いタッセルは共通していて、これが見事に躍動感を演出しているんです。

 黄土高原ではありませんが、音吉は二十歳代の時にゴビ砂漠を人民軍の兵隊さんたちと歩く幸運に恵まれたことがあります。もうもうと黄土を巻き上げながら踊り進む腰鼓を観ていると、ゴビの礫漠を渡る乾いた風と土埃の臭いが鮮やかに鼻の奥に蘇ってきます。『砂漠の真珠(1932)』という日本のサイレント映画がありましたが、生きるには真に厳しい荒れ野にあって、まさに腰鼓は『荒野の真珠』であると思います。
 一生に一度でいいからこの目で観、耳で聴きたいものは山とありますが、音吉にとって安西腰鼓はその筆頭です。それも来日公演などではなく、あの荒涼とした礫漠で観てみたいものです。

 

注意:こちらは安西腰鼓についての中国語の書籍です。残念ながら音源は見つかりませんでした。