音楽なら入れ食いですが何か?

野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

『山崎ハコ』と『ずとまよ』

 高校時代の音吉がしていたアルバイトは、もっぱらコンサートの裏方さんでした。
 来場者の整理・誘導から機材の搬入・搬出まで様々で、決してラクな仕事ではありませんでしたが、不定期とはいえ高校生のできるバイトの中では格段にギャラが高く、最小限の労力で最大限の利潤を得るのが大好きな音吉にとっては「ネコにマタタビ」の仕事でした。
 そんなバイトに入っていたある日のことです。
 舞台裏の給湯室にいた音吉は、廊下から忙しげに飛び込んできた少女と出会い頭にぶつかってしまいました。小さな子を泣かせてしまうようでは、理由はともかく仕事人失格。そう思ってしきりに謝ると、
「私がいけなかったの。ステージ前の私って、いつもこう。ごめんなさい」
 と、ハスキーな小声で大人の対応をするじゃありませんか。よく見れば、小柄で長いストレートヘアの、自分とそう歳は変わらない女性でした。可憐なんだけど、どこか暗い影の漂う不思議なオーラを放っていて、同級生の女の子にはいないタイプです。

f:id:riota_san:20200729124458j:plain

「あんな子がバイト仲間にいたんだ。こりゃあ、もう仕事が終わったら声をかけるっきゃないでしょ」

 と、チャラ男モード全開で妄想に浸っていたんですが、コンサートが始まってビックリ。開演時には、遅れてきたお客さんを席に案内する係をしていたんですが、ファンの拍手に押されるように件の彼女がギターを抱えてステージに現れたんです。
 バックバンドもいない殺風景なステージで、中央に置かれたカウンターチェアに座ると、
「こんばんは。山崎 ハコです」
 つい先ほど聞いたばかりの蚊の鳴くようなハスキーボイスで自己紹介を始めました。苗字と名前の間にスペースを入れたのは、実際に彼女がそこで一息つくように間を置いたからです。
 あんな声しか出せないのにマトモに歌えるんだろうか、と心配になったのですが、彼女が歌い始めて二度ビックリ。か細く、背丈も160センチもない小柄な身体からは想像もできない力強くメリハリの効いた声量とギターワーク。
 音吉は、当時流行っていたフォークソングにはまるで関心がなく知らずにいたんですが、山崎ハコ(1957 - )は音楽業界が注目していたシンガーソングライターだったんです。

歌詞はこちら→ http://j-lyric.net/artist/a001cee/l0055a4.html

 自分で作詞作曲を行い、それを歌うシンガーソングライターは、今でこそ普通の存在ですが、作詞作曲はプロ任せだった当時は斬新な試みでした。18歳だった山崎ハコの歌詞とメロディは当時のティーンの気持ちそのものだったのに対して、例えば同じ年に流行っていた山口百恵(1959 - )の『夏ひらく青春』は、29歳だった千家和也(せんけ かずや、1946 - 2019)作詞で27歳の都倉俊一(1948 - )作曲の、言ってみれば「創られた青春像」だったわけです。

歌詞はこちら→ http://j-lyric.net/artist/a0013c2/l005871.html

 音吉は20代を職業ライターとして過ごしました。20代後半の、それも男性が『an・an』や『non-no』でティーンの女の子向けの記事を書いていたわけです。
 例えばキャミソール・コーディネーションの記事なら、
「男の子をトリコにするにはキャミソールのコーデがポイント」
 とか、
「女子力は見せるインナーの重ね着コーデで決まっちゃうんだぉ」
 なんて具合に。
 若者文化と呼ばれるトレンドの多くが、こうして企業やマスコミが創り出し、誘導した結果であるという傾向は今も続いていますが、YouTubeSNSが浸透したことで、その優位性が崩れつつあるように思えます。
 その一例として、ここ数年来、音吉が注目しているJ-POPの音楽ユニット『ずっと真夜中でいいのに。』(通称『ずとまよ』, 英語表記は "ZUTOMAYO")を紹介したいと思います。

歌詞はこちら→ https://utaten.com/lyric/hs20051501/

 この不思議な名前のユニットはワタナベエンターテイメント(ナベプロ系列の芸能事務所)に所属していて、その意味では従来のアーティストと変わらない在りように思えるのですが、ストリート・ミュージシャンだったACAね(アカネと読みます, 1998 - )に作詞・作曲・ボーカルを任せ、デビューはYouTube、新作発表もYouTube、ライブは行ってもマスメディアへの露出は無し。ACAね個人も含めたユニットのプロフィールも基本は非公開という前代未聞のプロモーション・スタイルを採っています。活動の主だった舞台がYouTubeなので、アニメーターなどのビジュアル・アーティストは曲作りの当初から関わるという点も異色です。グループではなくユニットと言っているのも、ACAね以外のアーティストが曲によって入れ替わるため。
 女子高生に強い人気があるというのも、歌詞にザッと目を通せば合点がいきます。1975年の山崎ハコと同様、等身大のティーンの気持ちが率直に表現されています。それだけに1975年と2020年では「同じティーンでもこんなに感覚が違っているのか」と驚かされます。中二病的な要素が同じでも、ティーン独特の窒息しそうな気持ちを山崎ハコは『飛・び・ま・す』で「旅立ちます、信じるために」と歌い、ACAねは『お勉強しといてよ』で「あ~ 勿体ぶっていいから 孤(こ)のまんま ヤンキーヤンキーだ 現状 維持の無敵め うおおお」と表現しています。
 表現スタイルこそ違いますが、等身大の声は眠っていた感情に訴えかけるようで、今や還暦ジイさんの音吉にも、山崎ハコやACAねの歌は棘となって届き、老化した心をチクチクと刺します。歌とはそういうものなのかもしれません。